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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 読み返した本 〜 デーやんの寸稿 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690320
読み返した本
■ 小林 秀雄《モォツアルト》
── 私に試みることはできないだろうか……いうまでもなく、楽曲で
ある必要はない…… しかし他の部門でできないだろうか……
── サルトル《嘔吐》白井 浩司・訳
ロカンタン(サルトル)は、ラグタイムのレコードを、くり返し聴く
ことによって、自分の存在が、いわば余計者ではないか、という考えを
きわだたせていく。
──「ショパンの前奏曲は、おまえの叔父さんが死んだとき、どんなに
か私の助けになったかしれない」という叔母のビジョワ──美は彼らに
とって同情的であると思う。ろくでなしめ! ──
音楽であれ、レコードであれ、それはちょうど、円のように《非在》
であるにもかかわらず、私たちのどこかに、小林秀雄によれば心に飛び
込んでくるものがある。そして、たちまちのうちに、吹きぬけていく。
レコードをくり返し聴くという作業も、ある日突然にあるテーマが頭の
中で鳴るという現象も、結局は《非在》との対決を履歴することに他な
らない。
──街の雑踏の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきり
と演奏した様に鳴った。──百貨店に駆け込み、レコオドを聞いたが、
もはや感動は還って来なかった──
サルトルが《いつの日か》というジャズを反復し、小林は《ト短調シ
ンフォニー》を想起した以上に、両者の思考や立場は異なるけれども、
偶然に同じ世代に生きる孤高の知識人である。そのこととは別に、《モ
ォツアルト》を書き了えた小林は、ときに44才、終戦の年の暮であった。
──もう二十年も昔の事を、どういふ風に思ひ出したらよいかわからな
いのであるが──丁度その頃は、ネオンサインとジャズとで充満し、低
劣な流行小歌は、電波の様に夜空を走り、放浪児の若い肉体の弱点とい
ふ弱点を刺激して、僕は断腸の想ひがしてゐたのである。──
こうした回想を起点に、多彩な引用を経てひとりの天才に迫る態度は、
中村光夫の評言
──冥界にたいするヴァージルとして、ものを名づけるよろこびを、こ
の評論を書きながら、強く味ったと思われます──筑摩書房・現代文学
大系42
ともいえるが《非在》との対決を観る読者にはむしろ、江藤淳の解説
(新潮文庫版)
──この「涙だか、洟だか知らないもの」に、どのような感慨が込めら
れていたかを推測するのは愚かなことである──いやむしろ、敗戦を期
待しながら生きるという知識人の姿勢の根本にひそむ虚偽と不誠実を見
たのである。──
といった方が、端的にこの中編の位置を示しているようである。(阿波)
>>
《嘔吐》の中で重要な役割を演じるジャズ《いつの日か》は、1920年
代のヒット曲で、女性歌手ソフィー・タッカーのレコード(米 CBS-CI,
2604) である。サルトルは、“女の歌手はおそらく死んだだろう”と書
いているが、彼女はその後もずっと健在で、2年前87才の長寿をまっと
うしている。一方《ト短調シンフォニー》は、大正末期のものとして推
定すれば、おそらく壮年期のワルターによるポリドール盤か、晩年のリ
ヒャルト・シュトラウスによるコロンビア盤の何れかであろう。どちら
もベルリン国立歌劇場管弦楽団の演奏である。 (出谷)
小林 秀雄 文芸評論 19020411 東京 19830301 80 〜無常といふ事
中村 光夫 文芸評論 19110205 東京 19880708 77 〜風俗小説論
江藤 俊哉 Violin 19271109 東京 20080122 80 /カーティス音楽院教授
♀江頭 慶子 江藤 淳の妻 1934‥‥ 和歌山 19981107 64 /“おしどり夫婦”
https://keibatsugaku.com/egashira/
江藤 淳 文芸評論 19321225 東京 19990721 65 /自傷自殺
/籍=江頭 敦夫〜漱石とその時代/妻と私/遺書「病苦は堪え難し」
江藤 俊哉とのTV対談で「外国では、よく“お兄さん”はお元気です
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03月20日(木)
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