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与太郎文庫
by 与太郎
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■ シンコペーション 〜 決裂と和解 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581021
 
 いまも幻の甲子園にむけて“ブラバン”の応援は欠かせない。
(当時テレビの普及率は、同志社では90%に達していたようだ)
 この日、川上哲治一塁手も引退。矢守邸で(楠原大八と)観戦する。
 
 ピッチャーがキャッチャーに「二塁へ投げてみろ」と合図する。先に
指で捕球したのを心配しているのだ。捕手も投手を労わって、自分の手
で丹念にボールをこね、もみほぐしてから返球する。
 
 目が細くて、何を考えているのか分らないような男が、かくも繊細な
気配りを最小限の身ぶりで伝えるのは、まことに粋である。
 このような石本秀一の解説によって、与太郎は野球開眼する。
 

 石本 秀一  解説 18961101 広島   19821110 85 /広島監督“カープの父”プロアマ歴任
 川上 哲治 内野手 19200323 熊本 東京 20131028 93 /巨人監督“赤バット”“打撃の神様”
 稲尾 和久  投手 19370610 大分 福岡 20071113 70 /西鉄監督“神さま、仏さま、稲尾さま”

 
 その翌日は、さすがに器楽部室からの騒音がやんだ。
 めずらしく彼らが楽器をおいて、口々に意見を述べあったのである。
 いまだかつて、これほど仲のよい集団を見た者はいないだろう。
 
 昼休みはもちろん、わずかな休み時間でさえも、メンバーのほとんど
が部室をめがけて馳せつける。そうして思い思いの練習をはじめるので、
ひとしきり奇妙な騒音が校内にひびきわたった。
 
 オーケストラの新入生は、はじめて楽器を手にする者がほとんどで、
それぞれ嬉々として取りくんだ。ただし彼らの上達は遅々たるもので、
しばしば“ゴリ”の神経を逆なですることになった。
 
 なにしろ“ゴリ”はトロンボーンを始めるにあたって、肺活量の鍛錬
“潜水泳法”を開発したほどの“コリ性”だから、一部の新入生が面白
半分に練習しているように見えたらしい。
 
「あいつら、演奏会には出さん」と言いはじめた。
 ついに文化祭を目前に、与太郎と決裂する事態に発展したのである。
 与太郎も、覚悟をきめて云いかえした。
 
「それを言うと、どっちかが辞めなあかんぞ」
「ほなら、オレが辞めたらええんやろ」
 こうして“ゴリ”は、憤然としてオーケストラを去った。
 
 十八歳と十九歳の少年の舌戦にしては、いささか純度が低い。
 与太郎の俊敏な反応は、かくなる事態を予見していたともみえる。
 のちに“ゴリ”を瞬間湯沸器と揶揄したほどだ。
 
 その場で“ゴリ”を追放しても、与太郎がオーケストラを失うことは
できない。のちのち与太郎が「俺のほうが正論やった」と弁解すると、
老人になった“ゴリ”も「そんなことは当たりまえや」と応じたものだ。
 
 たちまち与太郎は、みんなに説明せざるを得なかった。
「意見が合わないので、ゴリはしばらく練習を休むことになった。君ら
は、心配せずに今までどおり励んでもらいたい」
 
 第二クラリネットの堀 悦夫 君が、遠慮がちに質問した。
「ぼくらは、ゴリさんにどういう態度をとったらええんですか」
「ゴリは、君らの先輩や。いままでどおり先輩や」
 
 遠くはなれた方角から、ひとり練習するゴリが、トロンボーンの名曲
《僕はセンチになったよ》を吹いていると、鹿の遠音のように聞える。
 オーケストラの音もゴリの耳に届いているだろう。
 
 ふたりの創始者を仲直りさせることは、誰にとっても困難だった。
 そこで、トロンボーンの先輩・森本 理 君が気をくばって、栄光館の
同志社EVE音楽祭前日のリハーサルに“ゴリ”をつれて来てくれた。
 
 彼こそは、かつて吹奏楽“中興の祖”と伝えられる故・森本芳雄先生
の次男(潔君の兄)であり、いまも与太郎は畏敬の念を抱いている。
(こういう配慮ができる人には、生涯に数人しかめぐり会えないのだ)

 しかるに“ゴリ”はステージに登ったものの、与太郎とは口を利かず
じまいだった。二人の対立を象徴するかのように、当日の曲目、ビゼー

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10月21日(火)
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