ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 山脈・第十五号
 
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 やまなみ 15号 もくじ
 
    作家と私(四)…………………富井 康夫…… 2
    無情について……………………竹内 康 …… 7
    讃美………………………………笠本 義嗣……11
    神様の恋愛………………………武市 恒子……14
    断章………………………………水野 良清……15
    飛鳥野……………………………山本 邦彦……18
    俳句………………………………下村 福 ……23
    奥津城……………………………楠本 達磨……25
    力…………………………………池田 満良……26
    煙…………………………………中堀 淑子……27
    創作
    崩壊………………………………中村 久美子…28
    波瀾………………………………山本 典良……33
    恋の結末…………………………和田 和代史…39
    岩倉印象記………………………杉林 博子……49
 
    編集人:笠本 義嗣/中西 宏/印刷所:芸林社
── 《山脈・第15号 19580625 同志社高校文芸部》
 

 
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 無情について              竹内 康
 
…… 先立って私は山が好きなものですから久しぶりに「遭難」という
映画を見に行きました。
 この映画は言う迄もなく谷川岳での遭難の生々しい記録映画であり、
これによって少しでも遭難事故を防止しようという意図の下に多分作ら
れたものです。ところが私は映画館を出て外の冷たい空気に触れると、
急にこの映画での人間の醜さというものをまざまざと見せつけられたよ
うな気がしました。それと同時にあの画布一杯に写し出された谷川岳の
姿が何か圧倒的な印象として私の心に残っていました。私はそれが何で
あるかという事を別に解明することなく過してきましたが、今こうして
考えてみると、人間の醜さというものはどうも人間の持つ情(Pathos)
らしいと考えざるを得ないのです。それに比べて私を圧倒したあの谷川
岳の美しさは謂わば人間のもつ情というものを持ちたい為だと思われる
のです。というのはあの映画でしばしば出て来ますが、死んだ息子に取
り縋って泣く親の姿だとか、息子の死体を引き上げる父親の緊張した顔
だとかは、謂わば人間の情のある一つの極限まで表現されたものです。
こういった情は成程ヒューマニズム的立場から見れば醜いどころか美し
いものです。しかしながらあの谷川岳を背景にして見ますと、私は美し
いという事を躊躇せざるを得ないのです。何故かと申しますと、そうい
った人間の苦しみ、悲しみが謂わば余計な空しいものであるという事を、
谷川岳が感じさせるからなのです。即ちいくら我々が苦しんでも、悲し
んでもその甲斐が無いからです。山は全く我々の苦しみには無関心であ
り、我々は情を持ってしてはその無情な無関心には打克つ事が出来ない
のです。どんなに子を失った親が嘆き悲しんでも、遭難という無情な事
実と、息子の死体とはどうする事も出来ないのです。その現実を動かし
たり改めたりすることは出来ないのです。無情な現実に対しては我々の
情は唯我々を苦しめ悩ます原因以外何物にもなり得ないのです。そして、
しかも我々はこういう情に囚われているのです。盲目的にその情の中に
陥ち込んでしまっているのです。激しい執着心を持っているのです。だ
から私は谷川岳を背景とした時、人間の情が醜いものであると思はざる
を得ないのです。
 ところで、本当に人間の情というものは余計な存在ではないでしょう
か。我々は情というものが一つの独立した存在を持つものだと考えがち
です。けれども実際は情を起させるには必ず何かきっかけとなるものが

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06月25日(水)
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