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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 文化祭のクイズ 〜 やらせとカンニング 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19561111
校庭で、三年生のM君に呼びとめられた。
「きみ、こんどの文化祭で、クイズやるさかい出てくれへんか」
「ぼくは器楽部のステージで忙しいし、それどこやないよ」
「ええから、ちょっと出て、適当に答えてくれたら済むんや」
「他を当たってくれんかなぁ」
「ええからええから、たのむで」とM君は去って行った。
いよいよ当日になって、ステージに引っぱりだされた。
M君のそばに、同級生のR子くんも坐っている。
彼女は「それでは、質問用紙を選んでください」と箱を示した。
分けてくるまれた数本の用紙に「右から三本目!」とささやく。
(なぁーんだ、こういうことなのか)
そのとおり選んで手渡すと、M君が読みあげた。
「パパ、こんどの旅は、とても勉強になりました……」
どうやら、モーツァルトの手紙らしい。そこで質問された。
「さて、この手紙は、誰から誰に書かれたものでしょうか?」
(なぁーんだ、そういうことか、パパ・ハイドン宛ての手紙らしい)
「モーツァルトが“ハイドンに”宛てた手紙です」と答えた。
「正解です、モーツァルトが“父親に”宛てた手紙ですね」(あれれ?)
「おめでとうございます」と云って、R子くんが賞品をくれた。
「つぎの方、どうぞ」とM君は、つぎのプログラムに向った。
(なぁーんだ、こういうことだったのか)
もちろん、会場の聴衆も無反応で、拍手も野次も聞こえてこない。
M君とR子くんのカップルが属していたのは、英語部だったらしいが、
何のために妙なクイズを思いついたのか、いまもって分らない。
◇ パパ・ハイドン
モーツァルト《弦楽四重奏曲“ハイドン・セット”全6曲》
17821231〜17850114 作曲、ヨーゼフ・ハイドンに献呈(1785出版)
17850115&0212 ハイドンを自宅に招き、全曲または数曲を初演。
モーツァルトはヴィオラを弾いたと伝えられる。 ── 《Wikipedia》
── モーツァルトは「ハイドン・セット」の出版時に、イタリア語で
書かれた、ハイドンへの深い敬愛の念を込めた献辞の中で、24歳年上の
ハイドンに、「わが最愛の友」と呼びかけ、この曲集を「長く困難な苦
労の果実」と述べ、また、この曲を自らの息子にたとえて、ハイドンの
「庇護と指導のもとにあらんことを」との言葉を贈っている。これらの
言葉は大袈裟ではなく、残された自筆譜を見ると、夥しい書き直しの跡
が見られ、また、2曲ずつ同時に作曲を進めつつも、先に書き上げた曲
に手を入れていることから、モーツァルトが試行錯誤しながら、苦労に
苦労を重ねて作曲したことがわかる。
17850114 作曲 モーツァルト《弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」》
── モーツァルトは1785年1月15日と2月12日に、ハイドンをウィーン
の自宅に招き、これらの新曲を披露した。ハイドンはそこで大きな感銘
を受け、同席したモーツァルトの父レオポルト・モーツァルトに「神と
私の名誉にかけて申し上げる。あなたのご子息は、私の知る、あるいは
評判で知っている、全ての作曲家のうちで最も偉大な方です。彼は優れ
た趣味を持ち、さらには、最も優れた作曲の知識を持っています」と最
大級の賛辞を述べ、モーツァルトの才能を激賞したのである。
── 《Wikipedia》
(20070721)
◇ カンニング論
この不可解なエピソードは、そのあとの期末試験における、R子くん
のカンニング事件につづく。もともと優等生だった彼女が、イタズラの
目的でカンニングして、その行為を咎められたのである。
そのため、その試験問題は採点対象から外され、席次が入れ替わった。
彼女は、カンニングしなくても合格点を取れたのに、当該問題に正解
した何人かが、不合格になる可能性がある。
誰もが首をかしげたが、これという理由は思いつかなかった。
文芸部の例会で、このニュースを知った与太郎は、こう述べた。
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11月11日(日)
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