ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 諫争
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550603
 
 諫争(かんそう)              阿波 雅敏
 
「感想」とは、受身の立場にある者が、つつましく述べるものである。
俺はこの言葉が嫌いだ。俺にはこの学校に対して『入れてもらった』と
いう気持は毛頭ない。正直なところ、この学校が俺という薬にもならん
人間に選ばれたまでの話である。だから俺は少くともこの学校に関する
限り受身ではない。
 こういうわけで俺は云いたいことを書くことにしよう。俺のこの気持
には必ず幾人かの理解があることを信じる。
 
      ×   ×   ×   ×
 
 入学式に下駄をはいてきたのは俺だ。実はあのとき、足に「ミズムシ」
ができていて、バカ陽気の折に靴なんかはいて行って、ひどくなるのを
恐れて下駄バキを敢行した。これが誤解されて、上級生の猛者連がいき
り立ったのはおかしかった。
 彼らにすれば「あいつ生意気だ」というところだったと思うが、そう
云う前に『お前なんで下駄はいてきた』と聞いてもらいたかった。そう
したら根はやさしい兄貴たちのことだ、うららかな日ざしをあびて、仲
よく俺の「ミズムシ」の皮をむしるのを手伝ってくれたかもしれんのだ。
幸か不幸か上級生には忠告されなかったけれども「入学式に下駄をはい
てきた」ことはことのほか宣伝されて、はなはだ心外であった。ともあ
れ無意味に騒がせた事については反省している。
 
      ×   ×   ×   ×
 
 ある日の二時間の休みに、某先生が試験をするという情報が伝わった。
さすがに皆あわてた。そこで最も要領のよい数人がすでに試験のあった
クラスへ出張して、答の記号と順番を実に正確に調査してきた。おそら
く彼らは英雄みたいに思われたことだろう。彼らは新興宗教の神々であ
った。皆は直ちに信者となってその呪文を授けられた。そして一生懸命
暗称した。神々は呪文だけしか授けなかったが、それを不満とした信者
はなかった。信者はノートや教科書を見る必要がなかった。
「ハチルロ……」俺はその呪文の合唱のなかにあってノートをひろげて
みる気にもならなかった。信者たちの眼は曇っていなかった。無邪気に
というより全く人形の眼をしていた。俺はこのあわれな信者たちに何か
いってやりたい気がした。
「乞食」つぶやきにしては大きな声であったが、信者たちにその言葉を
理解するゆとりはなかった。
 某先生の時間になった。紙が回されてきてからも呪文はあちこちでと
なえられた。
 実際試験は難かしかった。俺は自信のある解答を記入することができ
なかった。一瞬、なぜあのとき俺も信者にならなかったかという問が俺
のはらわたを通り過ぎた。その次に俺は何も知らぬ先生を間抜けだと思
った。多くの手は呪文の威力でなめらかに動いていた。答案が集められ
るとき俺は泣きだしたくなった。「ちくしょう。」俺の五体は、悔と、
それをわずかにしりぞける誇りと、そして憤怒で音もなくふるえた。
 信者たちは無邪気なあの人形の笑い方をしていた。今俺の彼らに対す
るあわれみは消え去った。すでに彼らは、デクノボウに過ぎなかった。
乞食であった。しかも彼らの多くはそれを知らない。知ろうとしない野
良犬であった。手をふりあげれば逃げ、横を向いていれば上目づかいを
しながら足もとの骨をしゃぶりにくる野良犬であった。野良犬はすでに
犬としての誇りを失っていた。乞食であった。乞食どもは、数多く、さ
らに数多く、同志社にいた。
 
      ×   ×   ×   ×
 
 ほんとうにどうにもならない事の前でも、腹をすえてグゥグゥねむり
こけるような人間は魅力がある。どうにもならぬ事にも、努力を惜しま
ぬ人間は人を感動させる。しかし、どうにもならぬといっておびえたり、
恥を忘れた人間は、人の同情さえ得ることはできない。ちかごろ路傍の
乞食や白衣はめっぽう不景気だとか。彼らはそれが当然なわけを知らぬ
からであろう。 ── 《山脈・第九号 195506‥ 同志社高校文芸部》
 

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06月03日(金)
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