ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 皇室神話 〜 神代と史実の分岐点 〜
 

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19470208
http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities
http://twitter.com/awalibrary
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19470208

 
 Ex libris Web Library;墨塗り教科書
…… 教科書は昭和20年9月20日の文部次官(大村清一)通牒で,「何分
ノ指示アルマデハ」という指示があり,さらに昭和21年1月25日に初めて,
「国民学校後期使用図書中ノ削除修正箇所」として全文を明らかにした。
当時,「削除」,「一部削除」,「取扱注意」の三つの指示があった。
教科書の一部は次のように指示に従い墨塗りを実施した。
http://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/12671/1/jisgakk_5_141.pdf
── 岩 由紀夫《図画工作における「自由教科書」に関する考察 - 大阪教育大学》
 
 神話の教え             丹羽 友三郎
 
 新しい日本の歴史を習って最初に感じたことはどんなことであったか。それには色々あったで
あろうが、恐らく誰でも
 1 天照大神を中心とする「神代」といわれていた時代のことが、神話と歴史とを峻別する立
場から全然かかれていないこと。
 2 本当にあったか否か分らないことは、分らないままに疑問として残すか、全く触れていな
いこと。
 3 単に政治の方面ばかりでなく、更に広い意味の文化全般が取扱われるようになったこと。
 4 一部の特権階級のことに終始することなく、国民大衆のことにも意を用いていること。
などを痛感したであろうと思う。
 歴史を学ぶに当たって、先ず神話をさも真実の出来事であったかのように徹底的にきかされ
てきたものにとっては、今それに全然ふれることなしに、考古学や人類学の援助によって日本の
古い時代の歴史を見て行くと云う方法には、いささか淋しさを感じたかも知れない。しかし、今
迄の「神代」の話は果たして本当であろうか?と納得しなかった者にも、今度習った歴史の方が
如何にも本当らしいと思えるであろう。
 新しい歴史の本が出来てから、それに対する批判の眼が集中されて、色々とその欠点を指摘す
るものがあるが、神ならぬものにどうして完壁が期しえられようか。批判は批判の為の批判、破
壊的な批判に終らずして、建設的なものであるべきである。欠点として指摘された所は改めら
れ、次第々々に正しい本当の歴史は作られて行くのである。批判がなされるのは拙らぬからだと
は思わずに却って幸だ、本当の歴史は僕等が作るのだという意気込みで勉強してほしい。
 今度の歴史で神話について余りふれていないのは、神話と歴史をはっきり区別したからであっ
て、神話そのものの価値がなくなったからではない。しかし、今迄のように神話を全部史実とし
て信じ込んでもいけないし、現今一部の人に抱かれているような神話は作り話で全然拙らぬもの
だというような考え方もいけない。その何れもが両極端に偏った考であるから、有名な神話学者
はその著書の中で「個々の神話は兎も角全体としての「日本神話」になるものは古往今来不幸に
してその正しく位置すべきところに位置せしめられていない」と述べられているが、本当にその
通りである。
 それでは、偏らない正しい神話の見方はどうであろうか。今からそのことについて幾らか参考
になればと思って少し書いて見よう。
 先ず第一に、日本神話とほどんなものかについて考えてみよう。いやしくも、日本神話と名の
つく以上、日本民族の作った神話は総べて日本神話であるが、『古事記』や『日本書紀』等に記
されている所謂古典神話は、皇室の伝承がもととなって出来た、いわば皇室神話が中心となっ
て、他の氏々の神話、国々の神話、又外国の神話等がそれに取入れられて出来た一つのまとまっ
た神話体系である。だから、人民大衆の神話の中には、古典神話に取り入れられないものもあっ
た筈である。

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02月08日(土)
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