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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 十六文今昔 〜 園田先生講義録 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19440228
演劇部の顧問でもある園田民夫先生に、女生徒が「女優になりたい」
と相談にきたという。先生は「そうか、それはいい」と答えたあとで、
横を向いて、ひとりごとを言う。「カガミ見てこいってんだ」
「キミ、ひとりごと聞いたんか?」と、下村先生が訊ねるので、
「いや、ひとりごとやなかったかな」と答えて、両者うなずく。
与太郎が園田語録を伝えると、かならず下村先生は身を乗り出す。
早稲田の先輩にあたる園田先生には格別の敬愛がみられた。江戸文学
の粋人、もちろん江戸っ子であり、講義中のジョークも洒脱である。
「『当時は十六文だったそうですな、今いくらだか知りませんが』」
これだけで下村先生には通じるが、補足すると夜鷹(最下級の女郎)
の価である(園田先生の頃はいかほどだったか?)。
二八そばの値も十六文である。その後のうんちくを加えると、うどん
粉とそば粉の配分が二対八であるという。ウイスキーの水割りも同様で、
20対80%をもって“ダブル”と称し、“シングル”は10対90%である。
── 「夜鷹」と書けば一聞十知の賢士には自明だが念の為初めの文を
紹介すると、「沖つ舟よるへさためぬをうかれめとよひ家にありてまら
うとをまつをはくくつとよひつけたるこれはさるたくひにはさまかはり
て家にしもあらす舟にしもをらすたた大路のくまくまあやしき木のもと
なとをたつねもとめてしはしのねやとはさたむるになむ京なにはにはさ
うかといひあつまのかたにてはよたかとそよふなる。云々」博学多識。
筆者亦何をか云わむやである。今も昔も、生活苦は変らないらしい。
── 富井 康夫《古典を読もう 19561012 山脈・第十二号》P07-08
四年にわたって在籍した文芸部には、二十五歳の浅井英治君ばかりか、
年齢不詳の富井康夫君にいたっては、卒業後六年以上も寄稿をつづけ、
もちろん合評会にも出席する(下段に、生家の広告文案)。
脳性麻痺の富井先輩に、どのように接するべきか計りかねる新入部員
に、フクちゃんは毎年おなじエピソードを紹介する。
「彼の入学試験の答案をみた先生は、みんなビックリしたもんや。なに
しろムチャクチャに乱れた文字がならんどる。しかし、よう読んでみる
と正解ばっかりや。えらい奴が入って来た、いうて職員室で大評判や」
── 長い間つまらぬものを御愛読下さって有難うござゐました。この
散歩の企てはあとかなり続きますが、活字になるかどうかはわかりませ
ん。私一人の手足でなく、かなりの人々の御援助の結果ですので、ここ
で文改めてその人々、先生方にお礼を申し上げると共に今後共一層の御
厚情を願うのであります。
/九、東京文学散歩(下)19590629 山脈・第十七号》P10
いま読むに、松本清張《或る『小倉日記』伝》を想起せざるを得ない。
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♪それ其様によそ外に 深い楽しみあればこそ わしを騙して胴慾な
合♪もしやにかゝる恋の慾 とかく浮世が儘にもならば
合♪駒下駄はいて歩いたら 誠に々々嬉しかろ(清元・色彩間刈豆・累)
(いろもようちょっとかりまめ・かさね)
どん栗南 丸竹 本家 富井 電話(6)三弐弐八
02月28日(月)
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