ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
[1051682hit]
■ 民秋家の人々 〜 すれちがった人々 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19380610
http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities
http://twitter.com/awalibrary
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19380610
Ex libris Web Library;民秋 史也 20070927.jpg
http://www.chugoku-np.co.jp/wagahibi/9_molten/molten07927.html
── 《わが夢(1)世界への思い 幼少期の英語学習 原点 20070927 中国新聞》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4893470140
── 民秋 重太郎《著作集(1)198803‥ 萌文書林》¥ 7,875
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4893470159
── 民秋 重太郎《著作集(2)198803‥ 萌文書林》¥ 5,250
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/
── 民秋 重太郎《宗教学序説 1955‥‥ 同志社大学出版部》
民秋 □□ 宗教学 18‥‥‥ ‥‥ 京都 19‥‥‥ ? /重太郎の父
民秋 重太郎 宗教学 1906‥‥ 京都 19880619 82 /史也&言の父
/同志社大学教授/梅花女子大学長
民秋 史也 モルテン社長 2 19380610 京都 広島 20100817 72 /[197610‥-]/清史の父
/(前社長は義父の弟)/クリスチャン/東京大学文学部、南カリフォルニア大学卒/マツダ入社
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570316
── 民秋 史也《高校時代 19570316 同志社高校卒業記念誌 煤tP12-14
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A1%A1%CC%B1%BD%A9+
民秋 言 社会学 19400115 京都 /重太郎の子/史也の弟?
/1971 東京教育大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程修了/白梅学園短期大学保育科教授
http://booklog.jp/author/%E6%B0%91%E7%A7%8B%E8%A8%80
民秋 清史 モルテン社長 3 19741122 広島 /[20100818-]/史也の長男
/1998 帝京大経卒/2006 モルテン入社/20101206 エアマットレス「ステージア」発売
http://spysee.jp/%E6%B0%91%E7%A7%8B%E6%B8%85%E5%8F%B2/1852969
…… 社名由来 [編集] 英単語のmelt(溶ける、溶かす)の過去分詞形
を社名とし、ゴムを溶かして製品を作るのみならず、溶かして新しく生
まれ変わる気概に、語尾の「ン」に「運」を重ね合わせた。また、都市
伝説としてMO1TEN(もう1点)という思いから付けられたという一説が
ある。19581101 設立(Wikipedia)
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%CC%B1%BD%A9
オムロン、リプトン、しょうざん、わたぶん、フーセン、パッチン。
http://d.hatena.ne.jp/aedlib/20101123 俗物図鑑 〜 図に乗る男たち 〜
…… その第一声は「同志社は諸君を紳士として遇する」
http://booklog.jp/author/%E6%B0%91%E7%A7%8B%E9%87%8D%E5%A4%AA%E9%83%8E
紳士として遇する(杉井 六郎)、紳士の基盤(秦 乾太郎)。
…… 初めて今出川の学舎へ登校した日、至誠館という木造モルタル作
りの教室の前に立っていると、登山帽のようなものをかぶった教授らし
き人物が現れ、校庭に散らばっていたみんなを集めました。
その人物は自らを民秋重太郎と名乗り、その第一声は「同志社は諸君
を紳士として遇する」という言葉でありました。再び私の心がふるえま
した。私は大阪の府立の旧制中学の第一期生で、第一期生ということで
特別なスパルタ教育を受けましたし、続いて入った海軍兵学校はご存知
のとおりの筋金入りのスパルタ式で、私は教育とは、殴られたり、蹴ら
れたり、立たされたり、運動場を何回も走り回らされたりすることによ
ってのみ得られるものと思っていました。
それが、同志社は私たちを紳士として遇するといわれる。十八歳の少
年にとっては聞いたこともない、心地よい言葉でありました。
[5]続きを読む
06月10日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る