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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 高倉健の喜怒哀楽
る。上品ぶるのは鼻もちならない。
演技というよりも、口許や顎の構造が、決定的なのかも知れず、ごく
自然に食ってる役者は、ほんとうに少数である。酒やタバコの喫みかた
は、すこし練習すれば、何通りかに演じられるが、米のメシ、パン、麺
類におよんでは、食べながらセリフをいうだけで精いっぱいのようだ。
高倉健は、苦労したかどうか知らないが《冬の華》ではバンと牛乳、
中華料理、西洋料理、貧しい兄の家での食卓など、きわめて自然に食べ
ることに成功している。ひとりで食べたり、相手がいたりするが、ちゃ
んと間合いがとれている。おそらく監督の注文が、どうにもつけられな
いのが、こうした食事演技ではなかろうか。
コーヒーを飲むシーンも、かなり多くて、彼は実生活でも、毎日、実
に20杯以上も飲むらしいが、この方は慣れすぎていてかえって生活感に
とぼしい気がする。しかし決して不自然ではなく、他の役者は及びもつ
かないかも知れない。
それに比べると、酒を呑むシーンは印象が浅い。ビールなど考え考え
呑んでいて、あれでは胃袋まで届かないのではないかと思われる。ヤク
ザ・スターなのだから、実生活で呑まないのは別として、ひと工夫すべ
き点である。
そうはいっても、スターについては、演技の細部にわたってあれこれ
いじるのは考えものである。本人も、下手に開眼しないほうが安全かも
しれない。立ってるだけで絵になるように、脚本家や監督が、研究した
ほうが、結果的にすぐれた映画作品が生れるかも知れない。
スター、大スター、さらにはスーパースターのような連中もいる。ポー
ル・ニューマンのような天才スターは、全身に計算の行きとどいた演技
力が感じられ、スティーブ・マックインは出てくるだけで存在感を主張
できる不思議な才能がある。女優でもフェイ・ダナウェイあたりになる
と、演出家の予想以上の芝居をするらしい。
彼らが、これ以上うまくなることを想像できるだろうか?
演技か上達する、あるいは変化するということに、われわれは期待す
べきでないようだ。かつて、バート・ランカスターが荒くれ男のイメー
ジから、中年すぎてインテリに転じた例は、むしろ危険が多すぎる。日
本の映画界は、もともと競争社会でなく、選ばれ勝ちぬいてきたスター
は少ない。むしろ勝新太郎が二枚目から汚れ役に転じて成功したように、
逆のケ─スなら安全かも知れない。行きつ戻りつ、低迷した例では、三
船敏郎が、その代表格である。
【次号は《シェーン》による映画鑑賞士】
【あらすじ】寝返った兄貴分を殺した加納は残された三才の少女の面倒
を見る決心をする。ブラジルの親切な小父さんということにして旭川刑
務所から仕送りを続けて、15年ぶりに出所した彼は、17才になった美少
女を車の中から眺めて、名乗ることができない。少女はいつも行く名曲
喫茶で出合った加納をその人ではないかと、直感するが、加納は否定す
る。出所を機会に足を洗うつもりでいた加納は、いつか組織の争いに巻
きこまれて、殺された親分の息子をヤクザにしないために、代って身内
の裏切者を刺すことになる。「なんとかならねェか、俺にゃ家族が居る
んだ」と哀願する裏切者を倒した時、幼児の泣く声がして、加納は思わ
ずふり返る……。
── 降旗 康男・監督/倉本 聰・脚本《冬の華 19780617 東映京都》
◆ 追記
旨そうに食べる、ことについては、金谷先生にまさる記憶がない。
親戚のおばさんに「皿まで食べるみたいや」と云われたそうである。
口元周辺の筋肉を、たくましく動かすのが秘訣である。
(20061107)
10月09日(月)
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