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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 伊福部 昭 at 鳥取 〜 19140531-20060208 〜
父親が、少しでも早く学校に入れたいということで、3月5日の早生まれ
として届けたからと伝えられている[105]。

 それとは別に3月7日が誕生日という説も広まっているが、これは冗談
が定着してしまったものである[105]。アメリカ・ボストンで『日本狂
想曲』の初演をする時、主催者に生年月日を提出することになった[105
]。その時、友人の三浦淳史が「3月5日だって作った誕生日なのだから、
いっそラヴェルと同じ3月7日と書いてしまえ」と勧め、モーリス・ラヴェ
ルのファンであった伊福部はその通りに書いて提出したというものであ
る[105]。

 そのためか「ゴジラのテーマ」は、ラヴェル『ピアノ協奏曲ト長調』
第3楽章にある部分のメロディと似ているとの指摘がある。もともとゴ
ジラのテーマは『ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲(ヴァイ
オリン協奏曲第1番)』の管弦楽トゥッティ部分からの転用[要検証 –
ノート]であり、この曲におけるリズム細胞の構築の仕方がラヴェルの
ピアノ協奏曲に良く似ている。「ゴジラのテーマ」の旋律はゴジラ第1
作(1954年)より前に、映画の『社長と女店員』(1948年)や『蜘蛛の
街』(1950年)でも使用されている[106]。

 伊福部とラヴェルの出会いは、学生時代にある邸宅で催されたレコー
ド・コンサートを三浦淳史と共に聞きに行ったことに始まる。伊福部は
最後の演目にあったベートーヴェンのヴァイオリンソナタ『春』を楽し
みにしていたが、その直前にラヴェルの『ボレロ』が予定されていた。
ボレロの初演からわずか数年後のことであり、もちろんモノラルのSPレ
コードである。作曲者の名前すら知らなかった伊福部はその演目表を見
て訝しんでいたが、実際に聴いてみてその執拗な反復が持つあまりの迫
力に圧倒され、ベートーヴェンは聞かずに会場を出た、と後に語ってい
る。(Wikipedia)

 ※ 与太郎は、もっとも多く写譜したアマチュア指揮者を自負する。

…… チェレプニンは伊福部 昭にニコライ・リムスキー=コルサコフ
の《スペイン奇想曲 Op.34 》のスコアを渡し、筆写して学ぶことを勧
めた。(Wikipedia)

18871031 サンクトペテルブルクにおいて作曲者自身の指揮、マリイ
ンスキー劇場管弦楽団の演奏で初演された。リハーサル時より楽団員か
ら盛んに賞賛されたため、ベリャーエフ社から楽譜が出版された際、初
演を受け持った楽団員67名に対して作品が献呈され、総譜の扉には67名
の名が記されている[1]。

 Tcherepnin, Alexander N. 18990120 Russia Psris 19770929 78 /
 Ifukube, Akira   作曲 19140531 北海道 東京 20060208 91 /
 Rimsky-Korsakov, Nikolai 18440318 Russia    19080621 64 /

(20240619)

05月31日(日)
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