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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 弓弦十話 (その3)
中止したとか、やりなおしたとか。もうひとつは小沢征爾氏の第九事件、
第1第2楽章を副指揮者に振らせておいて、第3第4楽章だけ自分で振
った、という。理由は風邪とかで、いずれもいずれやや下世話にすぎ
る感がなくもない。
意外性にもいろいろあるわけだが、聴衆がいつも安心して聴いておれ
る反面、ここぞと身をのりだすこともない、というのもやはり一種の低
調にはちがいない。
■ 白鳥 / 終曲
大正11年、サン=サーンスの没年、この年ロシアから日本に亡命して
きたエリノワ・パブロワという女性がいた。彼女はのちの日本バレー界
の貢献者となったが、その翌年には同じ苗字のアンナ・パブロワが、当
時最盛期のロシア・バレー団一座をひきいて来日したので、ちょっとや
やこしい一幕があったそうである。この件については、山田忠男著《風
流洞物語》洛味社刊にくわしい。
いったい、どんな発想がもとになったのか時のディアギレフ一門の名
振付師、フォキンによる《瀕死の白鳥》が、いわば国際的にヒットした
頃である。
そのプリマが、アンナであったのはいうまでもないが、どういうわけ
か浅草のコメディアンたちが、この着想に目をつけた。いわく《瀕死の
蚊》、いわく《瀕死の蝿》などである。最近亡くなったエノケンこと故
榎本健一に至っては、公開には及ばなかったが《瀕死のガマ》なる振付
けを、かねて考案していたそうである。さらに、どういうわけか、この
種の茶化したものでは、チャイコフスキーの《白鳥の湖》の音楽を用い
ることが多い。
このあたりの因果関係とともに、サン=サーンスとチャイコフスキー
が同世代であるだけに、たとえばサン=サーンスが《白鳥の湖》を、い
つ知ったのか調べてみたい気もする。
さしあたり、この稿はサン=サーンスに、つつしんで捧げるものであ
る。 ( 1970・10・29 改稿)
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ジプシー・ヴァイオリン奏者だった亡き妻を追悼して、無量塔 蔵六
氏が“胴の裏側に乳房を浮彫り”したエピソードは、はかま満雄・対談
《日曜喫茶室 1977ca NHK−FM》でも語られた。
《ヴァイオリン 1972 岩波新書》は絶版。
無量塔氏については《私の十冊 197707ca 》その他に詳述。
1974ca《続・弓弦十話》草稿に着手するも未完。
07月01日(木)
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