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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 弓弦十話 (その1)
員たちが、はたしていつ終るのだろうか、という表情で待ちかまえてい
るわけである。
音楽の、とくに演奏の歴史で、数々の進歩を立証するならば、こうし
た即興性の退歩もあわせて究明しなければなるまい。
たしかに、西洋音楽の古典的遺産としての意味は、音そのものの体系
化に成功した点であるといえなくもない。それに関しては、もうそろそ
ろ切りあげる時期じゃないか、という主張だけでも、百年来のものであ
る。現にいまどき、ベートーヴェンのカデンツァを、自分でこしらえて
みよう、などという演奏家がいるとしたら、たいへんな変りものにちが
いない。
だからクラシックは過去のものだ、という人たちのいるのも当然なの
だ。
では、近年とみに流行しているインドの、いつ果てるともわからない
音楽、これなどもやがては整備され、進歩して、同じコースをたどるこ
とになるだろうか。
記録の練達が、体系化に向わせる、という論法でいけば、これまで口
づたえ耳づたえであった音楽が、録音技術の出現で、いったいどれだけ
変化していくか、想像もつかない。
変化とは、変貌とは、はたしてそれ自身の究まる方向にだけ進んでい
くものだろうか。
いまどきの流行歌手は、主としてテレビなどで人気を決定しているけ
れども、実際にテレビ局で歌うのと、アテレコの場合が、ほぼ同じわり
あいになっているらしい。
冗談だろうけれども、月亭可朝という落語家のレコードがヒットして、
評判になったものの、ときどき自分のレコードを聴いて練習しないと、
人前でいつも同じように歌えないなどと伝えきく。
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ベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲》のカデンツァを作曲した例で、
キドン・クレンメルの自作自演がNHK交響楽団で放映(VTR'20010826)
された。ティンパニはじめ、オーケストラの伴奏もあって、ユニークな
試みだが、どうしても物珍しさが先だってしまう。ある前衛的な作品で
(独奏者に動作を任せるとの指示があり)諏訪内晶子が楽団員のヒザに
腰かけたため、エロティックな趣向として、それなりに話題になった。
04月01日(木)
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