ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 然かざりき/ブラバン/ひばり/ゴリのケンケン
(めでたしめでたし)。しかし、かつての悪ガキが、黒塗りの社長車に
ふんぞりかえっていようものなら、もう一度ブッつけてやるぞ。
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 アメリカ映画《ニューヨーク・ニューヨーク》冒頭シーン、トミー・
ドーシーとおぼしきトローンボーン奏者が《僕はセンチになったよ》を
たっぷり聴かせる。一九三〇年代を代表する不滅の名曲であり、ゴリに
とって、与太郎のサン・サーンス《白鳥》に呼応する宿命の難曲である。
トミーの兄ジミーはクラリネット奏者。テンポ設定のことからはじまる
兄弟の離反と和解は、ゴリと与太郎の友情にも不可欠の試練となる。
 
── 父からはじめコルネット、ついでテナー、アルトを学び、その後
クラリネットを独習。7歳から父のバンドで演奏、1920年前後には弟の
トミーとドーシーズ・ノベルティ6を結成/34年、弟と共にドーシー・
ブラザース・オーケストラを結成したが、翌年楽曲のテンポ設定のこと
で弟とケンカ別れし、以後は自己の楽団としてクラフト・ミュージック
・ホールにレギュラー出演。ビング・クロスビーを歌手に迎えた。/
── 1934年にドーシー・ブラザース・オーケストラを結成、1年後に
ちょっとした口論から同楽団を飛び出し、ジョー・ハイムスのオーケス
トラを引き継いだ/歌手を他の楽団から金に糸目をつけずに引き抜いて
名実共に全盛を極め、そのテーマ<アイム・ゲッティング・センチメン
タル・オーバー・ユー>およびそのスイートなトロンボーン・プレイか
らトミーはセンチメンタル・ジェントルマン・オブ・スイングの呼称で
絶大な人気を得るに至った。この間の37年には兄ジミーと和解し、39年
にはそれぞれの楽団を率いて共演/47年には兄弟の伝記映画「ファビュ
ラス・ドーシーズ」に出演。53年からは兄ジミーを自己の楽団に迎え、
亡くなるまで成功を謳歌した。
── 《新・世界ジャズ人名辞典 19880515 スイングジャーナル社》P110-111
 
── ごり ●(=魚+休)→かじか@【*鰍・<杜父魚>】カジカ科
の川魚。全長約15cm。ハゼに似ているが、からだは細長く、うろこがな
い。日本全土の水のきれいな川にすむ。食用。マゴリ。ゴリ。
       ── 《新世紀百科辞典 19781005 学習研究社》P0323
── ごりごり 力を入れて摩(す)る音。固い物を噛む音。
→(擬音)? ── 新村 出《広辞苑・U 19660516岩波書店》P0838
 
── 東映との提携配給を解消した東宝は、/阪急資本による株式会社
宝塚映画製作所を資本金四五〇万円で創立し、昭和二六年八月からつぎ
の陣容で製作を開始した。社長引田一郎。支配人高井重徳。取締役白井
鉄造、平井房人、須藤進。監査役植村四郎、田辺節郎。
── 田中 純一郎《日本映画発達史W 19760310 中公文庫》P041
*参太郎 P230 参照。
 
(20060109)

01月01日(日)
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