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与太郎文庫
by 与太郎
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■ わたしの書誌目録 〜 My Bibliography 〜
ラーより劣ることはなかった)の公演が、知名度の低さもあいまって霞
んでしまうほどであった[2]。帝国劇場で行われたリサイタルではベー
トーヴェン、ブラームス、J.S.バッハ、ブルッフなどの大曲から「編曲」
ものまで多種多様なプログラムを組み、耳が肥え始めた日本の聴衆を唸
らせた。
永井 荷風は、その日記「断腸亭日乗」に、5月5日の帝国劇場での
演奏会を聴いた旨、記述している。
クライスラーはこの来日の際に、関東大震災の前触れとも言うべき地
震に遭遇している。5月6日のこととされているが、公演後も引き続き観
光で滞在中だったブルメスターも遭遇しており、「私の幸運の星を信じ
る」と回顧している(この「幸運」が、果たして災厄から逃れたことに
対するものか、稀有の経験に遭遇したことを指すのかは、はっきりした
ことが分からない)。なお、帰国の際にはそのブルメスターと一緒にア
メリカ行きの船に乗っている。
この頃、すでに出演料などの面ではハイフェッツ(同年9月に来日予
定も関東大震災で11月に繰り下げて来日)に抜かれていたクライスラー
ではあったが、当時の日本ではハイフェッツよりもクライスラーの方が
リサイタルの入場料は高く、クライスラーより前に来日したミッシャ・
エルマンやエフレム・ジンバリストと同格であった。
1923年に来日したヴァイオリニストの特等席の料金(金額は当時)
※当時の大卒の初任給は50円前後
クライスラー:15円
ブルメスター: 7円
ハイフェッツ:10円
もっとも、ハイフェッツのリサイタルは大震災直後のこともあり、
「特等、一等…」とする通常の区分けではなかったので、通常の特等席
料金とは別個に考える必要はある。
05月17日(土)
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