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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 一億総抑鬱 〜 100 Million Total Depression of Corona Hystery 〜
ありますから」と明るく笑い飛ばした。(浦本 将樹)
 
…… 小さい頃から笑顔の写真が少ないという外山 惠理アナウンサー
に笑顔を作ってもらいました(カメラ・今成 良輔)スポーツ報知
 
 アナウンサーではあるが、カメラが苦手だ。「5秒以上、見ていられ
ないんです。笑うなんて、とてもとても」。インタビュー中は明るかっ
たのに、写真撮影になると急にぎこちなくなる。ホームページの写真は
20年近く更新していない。
 
 今月から新番組「―えんがわ」がスタートした。「誰でも遊びに来ら
れる」というイメージのタイトルだ。これまでの金曜日の「たまむすび」
が引き継がれる形。その中で「ラジオTOKYOリメイク」など新しい
企画も盛り込んだ。「毒蝮三太夫さんがすごく若い頃の音源などを流し
たり、当時の関係者も呼んだりします。学生時代からラジオが好きだっ
たのでうれしいです」と喜ぶ。
 
 相棒の玉袋とは前番組から足かけ7年目となる。お互い気を使うタイ
プだが「玉さんが心を開く瞬間が、ドアの開く時のように分かるように
なった」。今では玉袋のテレビのレギュラー番組「町中華で飲(や)ろ
うぜ」(BS―TBS)に、最多回数でゲスト出演するなど相性は抜群
だ。
 
 入社当初は苦労を味わった。「テレビは大変。何も思っていない時で
も笑顔でいる、というのが難しくて」と振り返る。堺正章のアシスタン
トを務めた「チューボーですよ!」を担当した際、週刊誌に「あいさつ
もできない」と書かれ、母にも怒られた。「子供の頃から、あいさつは
必ずするのに。でも、そう思っていない人がいたのかな」と反省する。
 
 助けてくれたのがその後、「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔そ
の新世界」で一緒になった永さんだった。毎週番組に届く100通近い
苦情の手紙。「私、こんなに嫌われているのかな」と落ち込みながらも、
全部読んだ。
 
 すると、送られてくるはがきの中に「永さんからは『いい面を見てあ
げて』とありましたが…」というメッセージが目につくようになった。
永さんが全ての苦情に返事を書いてフォローしてくれていたのだ。今で
も思い返すと涙がにじむという。
 
 「(永さんは)お礼しても『何のこと?』と自分では絶対言わない人。
私も返信を書くことにしました」。出社の度に「不快な思いをさせて申
し訳ありません」と、はがきを書く毎日が続いたが、手紙は徐々に応援
のメッセージへと変わっていった。「あの頃が人生で一番成長できまし
た」と振り返る。「ラジオの魅力はリスナーとの距離だと思います。た
まにイベントで会っても、ラジオネームを言っていただけると分かりま
すし。スタジオでも、はがきを見ると顔が浮かんでくるようになります」
 
 アナウンサーになったのは、テレビ局志望の友達に「いつまで親のす
ねをかじるの?」と説教され、一緒に書類をもらいに行ったのがきっか
け。文化放送のアナウンサーだった母は「あら、そう」という反応だっ
た。
 
 目標の一つに掲げるのは新番組の継続だ。「永さんとの番組は16年
続きました。玉さんとあと10年続けば超えられる。玉さんも先日孫が
生まれました。お酒をついでもらうまで頑張ってくれそうです」
 
 アナウンサーになって25年。結婚や出産後も仕事を続けるなど、女
性アナウンサーの職場環境は変わってきた。気づくと自身も管理職にな
っていたが「役職の名前、忘れました」と出世にも無頓着。「テレビは、
向いている人は絶対向いているけど、私はちょっと。ラジオだったら、
私が黙っていてもリスナーが表情を想像してくれます」と常に自然体だ。
ラジオが大好きで、好きに話し続けるという独自のポジションを、これ
からも歩いていく。
 
 ▼担当番組 地上波は「ひるおび」(月〜金曜・前10時25分)火
・水曜ナレーション。ラジオ「爆笑問題の日曜サンデー 日曜 13:00-)
第5週日曜など。
 
 ▼趣味 スキー、ゴルフ、水泳、テニス、ピアノ。

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04月27日(木)
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