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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 以下省略 〜 Omitted below 〜
できますので、だいぶ楽に受けられるようになっている」と原田さん。
 
 大腸カメラは、検査だけでなく、小さなポリープが見つかった場合、
そのまま切り取って除去することが可能です。
 
 また、大腸カメラ検査は、下剤を服用するなどデリケートな検査のた
め、完全個室が用意されている病院があるなど、女性が安心できる環境
も整っています。最後に原田さんは「(大腸がんは)なかなか症状が分
かりづらいがんなので、45〜50歳を目安に、1度大腸カメラ検査を受け
ていただきたい。それが大事なこと」と呼びかけていました。
 
 キャスターの堀潤は、「これまでもコロナ禍でなかなか検診が受けら
れない問題は指摘されてきたが、こうして専門家から言われると、“自
分も行かなきゃ”という気持ちになる」と感想を述べます。
 
 食文化研究家で株式会社食の会 代表取締役の長内あや愛さんは、が
んのリスクのひとつに挙げられる「食生活の欧米化」について言及。
 
「今、私は日本で過ごしているけれど、自分の胃などに受け付けにくい
ような動物性タンパク質を食べてしまう。それが積み重なることで負担
をかけてしまうのではないか。例えば、タンパク質のプロテインを摂っ
たとき、筋肉にはいいかもしれないけれど、実は胃には負担がある」と
案じつつ、「どこに効くのか、どこに負担がかかるのか、それが自分の
食生活に合っているのかなどは再認識していかないと、40歳、50歳にな
って検査をしたときに良くない結果に繋がってしまうと思うので、気を
つけるべき」と警鐘を鳴らします。
 
 堀からは、「検査に関しては、心理的ハードルがあると思っていて、
怖いし、不安が掻き立てられるし、(自分の体に異常がないか)知りた
いけど知りたくないみたいなところもある」と本音が。
 
 検査に対する心理的な面について、臨床心理士のみたらし加奈さんは
「(原田さんも言っていたように)今は眠ったまま検査できたり、完全
個室があったり、そうした情報はなかなか周知されていないので、もう
少し周知されていいかなと思う」と話します。
 
 みたらしさんの親戚は大腸がんを患い40代で亡くなりました。異変に
気付き大腸がんだと分かったときにはかなり病状も進行していたそうで、
「検査はきちんと行ったほうがいいなと思った」としみじみ。
 
 株式会社ABABA代表の久保 駿貴さんは「健康寿命を伸ばすためにも大
腸がんに限らず、今後は“予防医療”という言葉もトレンドだと思って
いるので、早期の検査を」と語り、「大丈夫だと思いますけど、堀さん
も検査に」と堀の体を気遣っていました。
 
〔hatena〕
 
 日本で最初に出された丼はうな丼、次はどれですか?
 
https://q.hatena.ne.jp/1678717054(20230314 )
 
…… 丼物の元祖はうな丼 (どん) である。文政年間(1818〜1830)、
芝居の興行に出資していた大久保 今介はうなぎ好みで、毎日のように
うな丼を大野屋から芝居の楽屋へ届けさせていた。当時は温飯を丼 (ど
んぶり) に盛り、蒲焼 (かばや) きは別に保温して届けていた。今介は、
丼に熱い飯を盛りその中間に蒲焼きを入れて持ってくれば、保温にもな
るしそのまま食べられるからと、大野屋にそのように作製させた。これ
がうな丼の始まりであるという。深川丼は、バカガイまたはアサリの混
ぜご飯で、江戸の後期に創作された。親子丼は、東京・中央区の玉秀と
いう鳥料理屋で明治初期に創作したもの。他人丼は、牛肉か豚肉を卵で
とじたもので、親子丼より後の大正中期からのものとみられる。卵丼は、
かき玉を多くして、それに好みの材料を加えるが、とくに卵だけでつく
ることもある。鉄火丼は、鉄火巻きの応用で、この名称は大正初期から
一般に用いられている。マグロの角切りを酢飯の上に並べ、もみのりを
ふりかけた丼物である。カツ丼(どん)は、昭和10年ごろからのもの。牛
丼 (ぎゅうどん) は、明治中期以降盛んになり、「牛めし」の看板の専

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03月15日(水)
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