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与太郎文庫
by 与太郎
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■ コンクラーヴェ議長から教皇へ
らく現代で最も愛された教皇であった。タイム誌通信員ジェフ・イスラ
エリーがバチカン内部関係者から先月聞いたとおり、「ラツィンガー・
ソリューションは確かに実行される」。
(アンジェロ・ロンカリは76歳であって78歳ではない)
しかし、ラツィンガーの教皇選出は決して確実なものではなかったこ
とを指摘することも重要だ。コンクラーヴェでは次期教皇候補枢機卿が
選ばれないことも多い。選挙で勝つのが確定とされた人が選ばれないこ
ともよくある。ことわざに「教皇たらんとしてコンクラーヴェに参加し
た者が枢機卿として帰ってくる」という。
ベネディクトは何度も、バイエルンの村に隠居して本を書くことに専
念したいと述べてきたが、最近になって、「神が与えたもうたいかなる
義務をも受け入れる」準備ができたと友人に述べていた。ヨハネ・パウ
ロ2世の死後、2005年4月2日にラツィンガーは教理省長官の仕事をやめ
た。今や教皇となり、誰が教理省長官の後任に当たるかを決めるのは彼
次第である。
ベネディクトはドイツ語、イタリア語の、英語、教会のラテン語など
10カ国語を話す。フランス語も流暢であって、1992年からフランスの倫
理及び政治科学アカデミー(Academie des sciences morales et
politiques)の準メンバーである。また、ピアノも熟達していて、
モーツァルトとベートーベンを好む。
史上8人目のドイツ人教皇であるが、現在のドイツ領の範囲出身者と
しては3人目(クレメント2世とヴィクトル2世)。最後のドイツ人
(現オランダ領)の教皇ハドリアヌス6世は1522年に選出され、1523年
に逝去した。クレメント7世が1730年に78歳で選出されたのと同年齢の
ラツィンガーは、最高齢で教皇に選ばれた枢機卿である。
2005年4月、タイム誌によって世界で最も影響力を持つ100人の一人と
して認知された。2005年4月19日、ヨハネ・パウロ2世の後継者を選ぶ
会議の2日目で選出された。
教皇選出後、初めて聖ペテロ聖堂のバルコニーに現われたとき、以下
の言葉で紹介された。
Annuntio vobis gaudium magnum;
habemus Papam:
Eminentissimum ac Reverendissimum Dominum,
Dominum Josephum
Sanctae Romanae Ecclesiae Cardinalem Ratzinger
qui sibi nomen imposuit Benedictum XVI
翻訳すると「大きな喜びを発表します。教皇がいらっしゃいます!
最も卓越した牧師の君主、ヨセフ卿、聖ローマ教会の枢機卿ラツィンガ
ーは、ベネディクト16聖を名乗られます」
バルコニーにおいて、伝統的な「Urbi et Orbi(都および世界に(教
皇の大勅書の呼びかけのことば))」の祝福の言葉の前に群衆に与えた
言葉はこのようなものであった。
親愛なる兄弟姉妹、偉大な教皇ヨハネ・パウロ2世の後継として、枢
機卿たちは主のぶどう園の中の素朴で身分が低い労働者である私を選出
しました。主は不十分な道具であっても、どのように働き、行動すべき
かご存じであるという事実によって、私は慰められます。そして特に、
みなさんの祈りに私自身をゆだねます。主の復活への喜び、主の絶えざ
る救いへの確信をもって、私たちは進んでいくことでしょう。主は私た
ちを救い、聖母マリアは私たちのそばにいることでしょう。ありがとう。
サンピエトロ大聖堂でのコンクラーヴェ前のミサで、「相対主義の独
裁が強まっている。それは何ものをも決定的なものとして認識せず、最
高の価値として自分自身のエゴと自分自身の欲望を置くものである」と
宣言した。もっと「穏健」な選択を望むカトリック教徒にとって、ラツ
ィンガー枢機卿の選出は大きな驚きであった。それは、教皇ベネディク
トがヨーゼフ・ラツィンガー枢機卿時代に有していた見解、すなわち救
済にとってのイエスとカトリック教会の必要性についての見解、他の宗
教についての見解、同性愛や妊娠中絶といった社会問題についての見解
によるものである。それ以外の人たちにとっては、ラツィンガー枢機卿
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04月24日(日)
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