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与太郎文庫
by 与太郎
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■ シンフォニエッタ序章 〜 器楽部中興史 〜
 文化祭がおわるころ、器楽部の部長となった森田昭典先生に、
「弦楽同好会も、器楽部といっしょに活動したらどうか」と打診された。
 二年生の代表者は、もともと器楽部員として、チューバも吹いている
ので(学校側にすれば)同じことに見えるのは当然である。
「そうですね、そんなら一緒にやりましょう」と、もったいぶって同意
したのは、当初からの作戦だった。
 最初から器楽部に弦楽器を導入すると、主導権はブラバンにあって、
いわば居候のような立場におかれる。しかし、いったん形式的にも独立
した団体であれば、いちおう対等合併となるのではないか。
 一方、同好会のままでは生徒会での発言権はなく、予算にもありつけ
ない。かたや器楽部の生徒会における存在感は、ふるい歴史とともに、
なにより夢の甲子園に欠かせないサポーターでもある。
 いかにも少年らしくない、政治的謀略のイメージが濃厚だが、とくに
誰かを追いおとすわけではない。ただし由緒ある吹奏楽団から吹奏楽器
を追放し、いつのまにか楽団そのものを衰退(?)させた歴史的責任を
問われるのはやむをえない。
 同志社吹奏楽の誕生は、ホザナ・コーラス創設メンバーによるという。
 もとは聖歌隊の伴奏楽団として、やがては野球の応援に駆りだされ、
ときには出征兵士の壮行式典で、軍歌を吹奏したかもしれない。歴史的
伝統とは、こうした現実をふまえて連続しているのではないか。
 
 美術担当の中堀愛作先生は、ホザナ・コーラス第一期生とかで、永く
“看板指揮者”だったから、ブラス・バンドには手がまわらない。
 おなじ芸大出身で美術と音楽担当の鎌尾武男先生が、文化祭の前後に
器楽部の部長を辞退されることになった。いくぶんご高齢で、これまで
も練習指導されることはなかったが、体育祭で一度だけブラス・バンド
を指揮されたのは、最後のあいさつだったか。
 かくて、ズブの素人である物理担当の森田昭典先生にオハチがまわり、
一念発起、自前の新品フルートを携えて登場した新部長を、部員たちは
敬意と親しみをこめて“ミイラ”と呼んだ。
 戦前から戦後にかけての吹奏楽部または器楽部の部長として、伝説の
名は、故・森本芳雄先生である。
 器楽部三年生の森本 潔 君(クラリネット、ホザナ・コーラス在籍)、
および二歳年長の森本 理 氏(トロンボーン、同響在籍のOB)の父で
あるという。誰もその風貌を知らないが、隣人である本宮先生によれば、
「塀の外に、森本先生の首だけが歩いて行く」ほどの長身だった。
 森本先生が、吹奏楽のための編曲を試みたとみられる、手書きの楽譜、
シューベルト《未完成交響曲》が(当時の器楽部室に)遺されていた。
いわば第一級史料であるが、“ブラバン”解体とともに失われてしまう。
 おそらく先生も、いつの日か、管弦楽への改編を夢みておられたので
はなかろうか。
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 森本先生や本宮先生のように、みずから楽器を演奏できる指導者は、
あくまで希少である。
 たとえば、全日本吹奏楽コンクールで連続優勝記録をもつ、大阪府立
淀川工業高校ブラスバンド顧問(丸谷明夫)は、音楽教育を受けていない。
高校野球の監督に学校用務員の資格で指導者を確保するケースもあり、
彼らに教員免許をというのは、むしろ用務員の地位を軽んじていないか。
 
 
 
 さらば、ブラバン 〜 OB列伝 〜
 
 上級生の卒業を待ちかねるように、十字屋の大橋(博)氏に来てもら
って、いらない楽器の山をみせる。
「これ全部、いくらで引きとってくれますか」
「一万円にしかなりませんねぇ」
 ガラクタの山は、きれいさっぱり姿を消して、部室こそ広くなったが、
オーケストラのために必要な楽器は、ほとんど何一つ揃っていない。
 器楽部が弦楽同好会を円満に受け入れたのは、なんといってもボスの
宮本寿之君とのクインテット協演が、きめてだった。
 オーケストラ改編にあたって、学校や器楽部長に、正式の届出をした

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03月08日(木)
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