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与太郎文庫
by 与太郎
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■ PRAD《印刷入門》 序説:紙を汚した技術史
り、稚気あふれるカボチャ絵を全国の料亭に飾らせた故武者小路実篤も
有力な候補者と思われます。最近亡くなった花森安治氏もユニークなワ
ンマン雑誌《暮しの手帳》による新鮮な文字感覚が忘れられません。
 しかも幕末までの日本と、人類史上最先端の文明に囲まれている現代
日本とでは、文字の機能・文字の需要に、大きな変化が認められ、文字
そのものの専門家は、戦後になってようやく姿をあらわします。
 
 証言1:邦字の研究
 
── 文字について語ることは 際限のない世界なんです ところが専
門家とか専門書という点では きわめて少数です 私の経験を申します
と美術学生の頃佐藤敬之格という先生の講義を聞いて初めて“これだ”
と恩いました それ以前には 文字に対する関心といってもいわば重箱
のスミをつっつくような問題で気になる点や知りたいことは いっぱい
あるのに 人にいったり議論するのはどうも気がひけていたんです 
 それが佐藤先生の授業で“これが明朝体の縦と横の線の太さをあらわ
す放物韓である”なんて大きな紙を展げられ 見ると複雑な方程式のよ
うな数式まで書いてある 美術学生なんて だいたい数学などできない
連中だからおどろきました 佐藤先生は東大数学のご出身で戦後なにか
の拍子で英文字に興味を抱かれて文字の研究家になられた“オレは字は
うまくはないんだ”などといっておられたが 講義はすばらしい内容で
した たとえば最近でも犯罪が発生して 手がかりになる紙切れに活字
が印刷されてる場合 それは昭和何年ごろの活字か なんて鑑定が必要
になる すると結局は佐藤先生が登場されるわけで 要するに国立大学
に活字や文字の研究室もないのが実状です 活字や文字に従事している
人は ずいぶん大勢いるのに 専門的な研究や意見を述べられる人は 
それほど少ないんです 一般の読者やライターはもとより文字に従事す
る人たちが いまいっそう注意ぶかく文字の細部に目をこらして 意見
を述べたり 関心や需要を高めれば すぐれた専門家がもっと誕生する
と思われます
 
 証言2:石井明朝
 
──数年前《明朝活字の歴史》という本が出版されて 私がうっかりし
てるうちに著者や出版社を書いたメモを失くしてしまったんです 書名
だけだと調べたり探したりするのは困難です もしこれが 私家版のよ
うなかたちでごく少部数しか出てないとすると後世に残る可能性は限ら
れてきます そんなわけで専門書が少ない 手に入りにくい“明朝”と
いうから 中国の明の時代にできた活字かと思うと 宋朝に完成された
書体で 日本に渡来したのが明の時代だという 宋朝はいつの書体かと
なると よくわからんのです 
 今われわれが知っている邦文活字は明治になって大量印刷が始まった
のであわてて作られたのか基本の形です ですから出典についても ス
タイルにしても とくに漢字と仮名のバランスなどは実に問題が多いは
ずなんです 大正末期に石井茂吉(1887〜1963)と森沢信夫の両氏が
“活字を使わない印刷機”という発想にとりつかれて以来今日の写真植
字機を完成するのですが原理はタイプライターとカメラをくっつけるだ
けのもので文字はどうするかそんなものは従来の活字にちょっと手を加
えて使えばいいと最初は簡単に考えられた しかし レンズを通す制約
もあり 大小さまざまに変形させたりすると読みづらくってしょうがな
い やっぱり活字じゃだめだ というわけで 石井さんは自分で書きは
じめたんです 英字とちがって日本語の場合はアイウエオからはじまっ
て 標準的な漢字は3000〜6000字に達する 明朝体なら細明朝・中明朝
・太明朝・特太明朝というふうに必要だから合計2万数千字書くわけで 
さらにゴシックとか楷書体・宋朝体など 気の遠くなるような数字に 
たったひとりで挑戦された もともと東大出身のエンジニアだった人が 
まるで専門外の作業に取りくんで 文字どおり後半生をかけて描きあげ
た文字大群です その成果は昭和35年の菊池寛賞“石井細明朝”に象徴

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02月01日(水)
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