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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 弓弦十話 (その3)
績にケチをつけるつもりはないが、その 180年間に、まったく埋もれて
いたのではない。省略した形では演奏されていたし、それなりの評価は、
少くともメンデルスゾーンあたりから、あったはずである。
チェロにおける基本的な奏法をふまえて、無伴奏なる制約のもとに書
かれたために、やや地味で演奏効果が低いと思われ、調弦を変えた第5
番や、5弦チェロのための第6番などは、要するに面倒な作品であった
のだ。
カザルスの功績をあげるならば、彼の慧眼であるよりも、なんといっ
ても演奏精神そのものというべきであろう。演奏家としての読みの深さ
と、それを具現する技術の練磨をこそたたえるべきである。
ちょっと話はそれるが、この組曲を1オクターブ上げて、ヴィオラで
弾くことがあるらしい。一種の練習教材で、演奏会向きではないようだ
が、演奏者の耳もとで鳴るぶんには音楽そのものの本質的な性格は、十
分に伝わるのだろう。
そもそもヴィオラという楽器のための作品はきわめて少ない。そこで
ヴィオラ奏者の中には、バッハの《無伴奏ヴァイオリン》を手がける人
もいるという。この場合は、調子が5度下の、移調となる上に、ダブル
・ストップ(重音奏法)など技術的にも無理が多くて結局は、教材にも
ならないそうである。
さて、《第6番》のオリジナル楽器と目される5弦チェロは、ヴィオ
ラ・ポンポーザと称してバッハ考案ともいわれている。考案などといっ
ても、当時は、ヴィオリーノ・ピッコロ(短3度高い小型ヴァイオリン)
とか、ヴィオラ・ダ・モーレ(愛のヴィオラ!6弦)そしてヴィオラ・
ダ・ガンバ(バリトンともいう、現在のチェロにいちばん近い)、その
一種でヴィオロン・チェロ・ピッコロ(小型チェロ)等々、さまざまの
名称で、いわばまちまちに制作され、存在していた。
糸巻きの頭にライオンの首がついていたり、胴の裏側に乳房が浮彫り
されたものとか、楽器というよりは、装飾品としての傾向がいちじるし
い。
調弦にしても、演奏中にひょいと変えたりする方法も、立派にまかり
通っていたそうですべてが自由で、定まらない時代であった。
それというのも、当時は大ホールで、大聴衆に聴かせる必要もなかっ
たし、とにかく音が出さえすればよかったのではないか。したがって、
ストラディヴァリウスなどの、イタリア製の華麗な響きと、豊富な音量
をもつ、近代的銘器が重んじられるようになったのはようやくベートー
ヴェン (1770〜1827) の頃からである。
そのベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》から5年のちに初演さ
れたのが、パガニーニの《ニ長調コンチェルト》である。これは、もと
は変ホ長調で書かれており、独奏楽譜だけはニ長調だった。つまり、独
奏ヴァイオリンだけ、あらかじめ半音高く調弦しておく、という趣向で
ある。
なかなか面白いとも思われるが、結局この種のアイデアは、あきられ
るのも早いせいかだんだん流行らなくなるとみえて、現在ではこの曲は、
オーケストラともどもニ長調で演奏されている。
パガニーニの鬼才ぶりを描いた伝記映画に、演奏中プツンと弦が切れ、
やがて2本3本と切れて、最後は残る一本だけで、さる難曲を弾きおわ
る、というシーンがあったそうで、さすがに八百長めいていて、実際に
は不可能であろう。こういう場合、現代の習慣としては、いったんステ
ージから引っこんで、弦をとりかえるか、楽器ごと代えてしまう。
化石化した伝説で思い出されるのは、セザール・トムソンというヴァ
イオリニストで、彼は、どんな難曲でも、常に平行8度の重音奏で弾く
ことができ、聴衆をよろこばせた、という。オクターブ・トムソンの異
名がありおおむねアンコール・ピースで、いくつか用意があった程度の
ことと思われる。
是非の論議は別として、今日の演奏会ではこうした一切の演出はまっ
たくなくなって、即興性とともに、すべての意外性も姿を消したようで
ある。
もっとも、ごく最近のふたつの例はある。
岩城宏之氏の赤ん坊事件、演奏中に赤ン坊が泣き出したので、怒って
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07月01日(木)
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