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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 然かざりき/ブラバン/ひばり/ゴリのケンケン
を引きずりこんで文化祭に出場、器楽部の上級生・宮本君の顔を立てて
モーツァルト《クラリネット五重奏曲》と、ハイドン《弦楽四重奏曲》
“ひばり”の一部を演奏した。その半年後に器楽部から吹奏楽を追放、
忽然として管弦楽団が出現、その指揮者は二度目の二年生だった。
 東京芸大出身の教諭二人、中堀愛作教諭は美術を教えるかたわら、
ホザナ・コーラスの指揮者でもある。鎌尾武男教諭は、中学では美術、
高校では音楽を教える(芸大は美術学校と音楽学校に分れていたので、
あるいは両方卒業されたのかもしれない)。前年まで器楽部長だったが、
まったく素人の森田昭典(物理)教諭と交代したのは、吹奏楽には熱意
がなかったとみえる。フランス文化への造詣ふかく、斎藤百合子嬢によ
れば、実際のパリ在住者よりも地理にくわしいという。
 選択五教科のひとつに、音楽特論もあった。これなら得点をかせぐに
都合がよい。はじめXX君が申込んだ段階で、担任の先生が「女生徒ば
かりのところに混じっては、鎌尾先生もやりにくかろう。ほかの科目に
したまえ」といって退けた。そのあと与太郎が、知らぬ顔で申込んだの
である。こちらの担任は、そのまま通してしまった。
 もとより鎌尾先生は芸術至上主義者だから、男ひとり混ったくらいで
おどろかない。おなじ楽譜を配って、おなじキーで歌わせた。ほとんど
フランス語の恋の歌である。
 
 
 ゴリのケンケン 〜 I’m getting sentimental over you 〜
 
 吉田肇のあだ名“ゴリ”の原義は、川に生息する淡水魚か、もしくは
“ゴリラ”の略称か。どちらがふさわしいか分らない。
 ゴリは、もともと悪ガキであって、いつもふざけていた印象がある。
その後の彼は、それなりに迷いがあったらしく、最後には大阪市立大学
法学部を出て、阪急電鉄に入社している。
 そもそも大阪市大といえば、かの“よど号事件”首謀者・田宮高麿の
居城として関西赤軍派の名門である。田宮が入学したとき、ゴリは四年
生でジャズを吹いていた。いわゆる思想的転向者にはまさかのケースが
多いように、阪急入社後のゴリも転身して、往年の悪ガキの面影はない。
 
 ゴリは、高校でバスケット・ボール部にもいたが、ジャズに熱中して、
ブラス・バンドに入ってトロンボーンを吹きはじめた。
 与太郎も、どういう風の吹きまわしか、ブラス・バンドに加わった。
そして吹奏楽はつまらないから管弦楽に転向するという壮大な悪だくみ
を打ちあけた。ゴリはジャズをめざしていたから、どっちでもよかった
が、与太郎の熱意に押されて、しぶしぶ協力したとみられる。
 
 ゴリは、いつもあたらしい疑問を運んできた。
「三拍子にも色々あってな。日本人のリズム感は祭太鼓そのままやから
アカンのや。ウィンナ・ワルツなんかケッタイなもんらしい」
「ブン・チャッ・チャッ、これではあかんのか」
「ブン・チャッ・チャー、これを弱・強・弱および短・長・長と吹く」
「ふーん、“メヌエットからスケルツォを経てワルツへの変遷”という
テーマで演奏会ができるナ」
「なんじゃ、それ」
「すべて三拍子の曲を並べて、歴史と変遷をたどる」
「アホか、そんなもん。お客が三拍子のケンケンで帰りよるぞ」
 せっかく面白い話をもちこんだのに、ゴリは怒って帰ってしまった。
 
 新米社員の彼に、仕事をもらった与太郎は、撮影の邪魔になるからと
社長車を移動させようとして、鎖のロープにぶっつけてしまった。
 その社長は、京都疎水の英雄的設計者・田辺朔郎の長男であるという。
(宝塚映画の監査役・田辺節郎は同一人物か?)
 与太郎は「出入り業者が車をぶっつけたのでは面倒だ、ゴリよ、社員
がぶっつけたことにすれば、始末書一通で済むはずだ」といって、姿を
くらませた。職場に未来の女房もいるし、ゴリは内心薄氷を踏む思いで、
すべて穏便に運ばなくてはならなかった。
 三〇年後(19980624)ゴリが、当時の職場である西山ドライブウェイ
に社長となってもどったからには、例の件は事なきを得たにちがいない

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01月01日(日)
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