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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 石原式色盲検査表
過を発見するのである。先年一人の鉄道の運転手が来て云うには、「自
分は身体検査の時に、色盲だと云われたが、色は何でもよく見えるので、
未だ嘗て間違えたことがない。この草履の鼻緒の赤いのなどは、よく見
える」と、色盲と云われたのが大に不平の様子であった。しかしその時
の草履の鼻緒は実は濃い緑色であったのである。即ち自分では正しい積
りでいても、実際には間違っているのである。
なおこのほか前にも述べた通り、赤緑色盲者でも、色の鮮明なものな
らば赤でも、緑でも、通常は区別ができる。これらの理由で、色盲のた
め実際に過の起ることは、あまり多くはないのであるが、しかし注意し
て調べてみると、ずいぶん大きな過をしているものもある。いま参考の
ため、清水軍医が色盲の兵士について調査した実例を二三紹介する。
一 小供の時、ぐみの実を採りに行って、未熟のものを沢山混ぜて、持
って帰ったため、母親から叱られた。またぐみの木に登って、その
実を採って食べたところが、たいそう渋いのを食べたことがある。
二 友だちと一しょに桑の実を採った時、自分には友だちのように敏捷
に取れなかった。また夜間燈火の下では、熟したものと未熟のもの
との区別がつかない。
三 途上で草と同じ色の犬を見ることがある。或る時緑色の犬と云った
ら同僚から笑われた。それ以来、犬を見れば茶色、草は緑色と云う
ことにしている。しかしこの二つの物は全く似た色としか見えない。
四 小学校時代から、他の学科は優等であったが、図画のみは常に色彩
を誤って教師から叱られた。
五 林の中で測図をした時、樹の枝に結び附けてあった赤布が見えなか
ったため、道に迷ったことがある。
四 色盲と職業
汽車の運転手や汽船の船長が色盲であったために、信号を看過って不
測の災難を来したという実例は、わが国には、あまり無いようであるが、
欧州には、しばしばある。最も初めにこの事に注意したのは、明治八年
の事である。この年に瑞典で汽車が衝突して、九人の死者ができたのを、
同国の生理学者ホルムグレーンが調査して、その衝突の原因は運転手が
色盲であって、信号を看過ったのであると云うことを発見した。それ以
来人々が色盲の危険なことを知って、注意し始めた。ところが、その頃、
頻々として同様の事件が起ったのである。今その二三を挙げると、同じ
く明治八年に、英国ノーフォルクの近海で、汽船が衝突した。これは一
方の船長が色盲で、緑燈を赤燈と看過って舵をとったからである。明治
十年二月に西斑牙の砲艦「マリネロ」が帆船に衝突して、これを沈没さ
せたのは、帆船の船長が色盲で、砲艦の船燈を白色の港火と間違えたか
らである。また明治十二年には、ギボラの港で帆船「テレサ」が沈没し
た。これは船長が海岸の赤い港火を建物の白い火と間違えたからである。
かように色盲のために鉄道や船舶の事故が頻々として発生したので、
明治九年瑞典国は、卒先して鉄道員及び船員に色盲検査を施行すること
の規定を設け、その翌年ドイツ国、明治十二年オーストリア国がこれに
倣ひ、次でわが国もまたこれを実施するに至ったのである。
以上の外、色盲者に不適当であるべき職業は、医師及び薬剤師である。
医師や薬剤師がもし色盲のために診断や調剤を誤ったならば、他人に害
を及ぼすことが無いとも限らない。この意味では甚だ危険であるが、し
かしわが国のみならず欧州諸国に於ても、未だ嘗てその実例を聞かない。
その他、すべて色を取扱ふ職業に、色盲の適しないのは明らかである。
即ち化学者、画家、染物業者、印刷業者、呉服業者等である。これ等は
他人に危害を及ぼすようなことはないが、しかし本人のため非常な不利
益であって、もし色盲者がこれ等の職業を選んだとすれば、世の生存競
争に打ち勝つことは困難である。故に総ての人、殊に男子は、その職業
を選択するに先って、是非とも一度色盲検査を受ける必要がある。即ち、
小学校時代に身体検査を行う際に、視力と同時に色盲の検査を行うので
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01月01日(土)
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