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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 身辺八宝 〜 The Eight Treasures of the Body 〜
…… 近代になってとくに自然について論じた人に和辻哲郎がいる。和
辻は『人間の学としての倫理学』(一九三四年)や『倫理学』(上・中・
下、一九三七―一九四九年)などを通して日本の倫理学研究に大きな足
跡を残した思想家である。
 
 和辻の思索の歩みは三つに区分することができる。大学卒業後、西洋
の哲学を中心に研究した時期が第一期であり、日本の文化や美術を中心
に研究した時期が第二期である。その間に法政大学から京都大学に移り、
さらに一九三四年に東京大学に籍を移した。ちょうどその年に『人間の
学としての倫理学』が発表されたが、それ以後の時期、つまり独自の倫
理学を構想し、それを体系化することを試みた時期が第三期である。
 
 ここでは東京大学に移った翌年に出版された『風土──人間学的考察』
(一九三五年)を取りあげることにしたい。この書は第三期に属するが、
一九二七年から翌年にかけてのドイツ留学の言わば副産物として成立し
たものであり、第二期と第三期をつなぐような性格をもっていたと言っ
てよいであろう。
 
 そこではモンスーン地帯や沙漠、さらにヨーロッパの気候や景観など
が問題にされている。しかし和辻はそれらを「自然」とは呼ばずに「風
土」と呼んだ。なぜなのであろうか。この点を明らかにしておくことが
この書を理解する鍵になる。
 
 この著作には「人間学的考察」という副題が付されている。しかし、
なぜ「風土」が「人間学的考察」の対象になるのかということは、必ず
しも自明なことではない。
 
 その点を考えるために、まず和辻がこの『風土』という著作で「風土」
をどのように定義しているかを見てみたい。「第一章 風土の基礎理論」
の冒頭で和辻は、「ここに風土と呼ぶのはある土地の気候、気象、地質、
地味、地形、景観などの総称である」と記している。気候、地質、地形
等のことばがここで用いられている。一般に「自然」ということばで表
現されるものである。しかし和辻はそれらを「自然」とは呼ばずに「風
土」と呼んでいる。それは、彼が問題にしたものが人間と関わりのない
客観的な存在としての気候や地形、つまり、単なる自然環境としての気
候や地形ではなかったからである。また、彼が『風土』のなかで問題に
したのは、いま言った意味での自然がいかに人間の生活を規定している
か、あるいは規定してきたか、でもなかった。彼が問題にしたのは──
『風土』のなかの表現を使えば──「日常直接の事実としての風土」
(八・七)であった。
 
https://news.yahoo.co.jp/articles/98dec4f56ab97994cff44a1eee06c558c14f5b8c
 
「寒さ」とは何か
「日常直接の事実」としての風土とはいったい何であろうか。それを和
辻は「寒さ」を例にとって説明している。彼が問題にしようとしたのは、
ある一定の温度の(たとえば零下五度なら零下五度の)空気の存在、つま
り、客観的な存在としての「寒気」ではない。私たちが実際の生活のな
かで感じる「寒さ」である。
 
 和辻が客観的な存在としての「寒気」ではなく、私たちの生のなかに
ある「寒さ」を問題にするのは、私たちが元来「志向的」な存在である
からである。私たちの意識のはたらきは、はじめから何かに向けられて
いる、つまり何かについての意識である。それは外部とは関わりをもた
ない一つの「点」としてあるのではない。
 
 私たちは孤立した「点」として、その外にあるもう一つの「点」(た
とえば「寒気」)に向かって進んでいき、そこにある一つの関係を作り
上げるのではない。私たちは最初から「……を感じる」(たとえば「こ
の冬の寒さは体にこたえる」)といった仕方で、一つの関係のなかにあ
る。私たちは最初からこのような「志向的関係」のなかにあり、このよ
うな「関係的構造」が私たちの存在を成り立たしめているのである。
 
 和辻が問題にしようとしたのは、このような「志向的」あるいは「関
係的構造」のなかで出会われる自然であったと言うことができる。それ

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08月19日(月)
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