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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 過不可 〜 No excess allowed 〜
役者が岡山県浅口郡 鴨方町(現在の浅口市鴨方町)に住んでおり、亡
くなったという話を詞にしたということだが、実際には作詞をした吉田
旺はちあきのエピソードを知らずにこの詞を書いていた。小倉駅が舞台
で若松市(現北九州市若松区)出身の吉田が東京へ行く思い出を書いてお
り、歌詞が出来上がってから、ちあきの体験と偶然似ていた「実体験」
とすることでプロモーションに活かすという戦略をとったといわれる。
 
 ちあき本人は上記の通りの自身の経験と偶然似ていた歌詞から、「私
この歌は歌いたくない…」とマネージャーに言ったという[要出典]。そ
の際、マネージャーは作詞者の吉田に対して「ちょっと辛い経験があっ
て、それを思い出したようで」と言った[4]。
 
 この曲はリリースして約2か月経った11月1週目でオリコンチャートの
7位にランクされ、2週間後には2位まで上昇するが、宮 史郎とぴんから
トリオの「女のみち」の1位獲得により、「喝采」が12週間(3ヶ月間)
にわたり2位にランクインされた。
 なお、特信チャート(レコード特信出版社調べのチャート)では、
「女のみち」を抑えて最高位1位を記録している[5]。
 
 作詞者の吉田 旺は「歌い手をテーマにした詞を書いてみよう」と思い
立ち、本楽曲の詞を完成させた[6]。吉田が最初に決めたタイトルは「幕
が開く」だったが、当時のコロムビアのプロデューサーだった東元 晃が
そのタイトルに難色を示し、東元が本楽曲のタイトルを「喝采」と命名。
 
 作曲者の中村 泰士は服部 良一作曲の「蘇州夜曲」や賛美歌の「アメ
イジング・グレイス」をベースとして本楽曲を作曲した。中村は「ヨナ
抜き音階」で本楽曲を作曲したが、当時「ヨナ抜き音階」は演歌では多
く使われていたものの、ポップス系では使われておらず、中村にとって
ポップス系の本楽曲をシンプルな「ヨナ抜き音階」で作曲したことは会
心の出来だったという[7]。
 
 過不可 〜 No excess allowed 〜
 
 本楽曲の歌詞に出てくる「黒いふちどり」という部分は、「縁起が悪
い」、「死を歌詞に持ち込むことはない」「いくら別れの歌でも殺す必
要はない」と当初レコード会社や作曲者の中村 泰士は歌詞を変えるよう
提案した[6]。しかし、作詞者の吉田 旺は「いや、ここが核だから」と
頑なに変えず、コロムビアに対して「喪に関する言葉は水商売の世界じ
ゃ縁起がいいんです」とまで言ってこの部分の歌詞を死守した[8]。
レコーディングの際には、周りを黒いカーテンで囲み誰にも姿を見せ
ず、声を出すために裸足で臨んだという[9]。

 本楽曲がレコード大賞を受賞した1972年は、上半期のヒット曲で「日
本歌謡大賞」を受賞した小柳 ルミ子の「瀬戸の花嫁」が当初は大賞の
最有力候補だった[要出典]。実際に本楽曲が発売された際に、審査員の
一人 [誰?] が作曲者の中村に対して「もう決めていたのになぁ。悩ま
しい曲を書かないでよ」と言ったというエピソードも残っている[10]。
結果的には本楽曲が大賞を受賞したが、本楽曲を制作した当事者にとっ
ては「まさか」の受賞だったという[11]。(Wikipedia)
 
〔hatena〕 0425
 
…… 中学3年女子です。東野 圭吾の本が好きな男子って、どんな性格
だと思いますか。(はっきり言って頭が良くて、真面目です)←彼
(私も少し当てはまるかも)
 
https://q.hatena.ne.jp/1713825159#a1282711(No.2 20240425 06:08:10)
 
https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/?q=00000000
 
〔book〕 0425
 
── 東野 圭吾《麒麟の翼 20140214 講談社文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4062777665
 
 Higashino, Keigo 作家 19580204 大阪 /
…… 《麒麟の翼》増刷分印税全額を寄付。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110318/art11031818520006-n1.htm
 
── 東野 圭吾《容疑者Xの献身 2005‥‥ 20080805 文春文庫》[Kindle]
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B086WV9GBT

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04月25日(木)
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