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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 対話の源流 〜 Origin of Dialogue 〜
ジが異なることから、プラトンが自説をソクラテスに語らせたものだと
されて来ました。プラトンの哲学説と言われる「イデア説」などの多く
は、この中期対話篇のソクラテスの語ったことを元にしています。
 
 後期とされる対話篇では、ソクラテスは登場しなかったり、脇役になっ
たりしており、その点で、初期とも中期とも異なるとされます。後期の
著作は、中期以降のプラトンの思想の展開を示すと理解されてきました。
 
 このような従来の解釈によれば、「弁明」や、「エウテュプロン」
「クリトン」などの典型的な初期対話篇はソクラテスの哲学を示すとさ
れてきました。ただ、上にも述べたように、これらの作品のソクラテス
は、思想を述べているというより、吟味や批判をしているだけです。そ
の中では「弁明」のソクラテスが語る「無知の自覚」がソクラテスの思
想とされることが多いです。
 
 しかし、近年の研究では、プラトンの対話篇はもっと文学的に解釈し
なければ、作者プラトンの意図はわからないという解釈法が有力になっ
ています。どういうことか。
 
 例えば普通の戯曲(芝居)を考えた時に、ある登場人物が語ることが、
そのまま作者が表現したいことだとしたら、それは芝居としてはあまり
出来が良くないと考えられます。というのは、それなら初めから、一人
語りをすればいいのであって、戯曲形式を使う必要はないからです。よ
くできた戯曲では、作者が表現したいことは、登場人物の台詞の絡まり
合いや物語の展開を通して、表されるはずです。
 
 このような解釈法を、プラトンの対話篇にも適用することで、これま
でプラトンの思想と言われていたものも、必ずしもプラトンが表現した
いことであるとは限らないという解釈が提出されてきました。例えば、
イデア説に関連して語られる「想起説」(魂は生前にイデアを知ってい
て、生まれるとともにそれを忘れ、知識を持つときにそれを想い出す)
という説も、別にプラトンの自説ではなく、人間の認識の成り立ちを考
察するための仮説的道具に過ぎないと考えるのです。
 
 そうなると、初期対話篇のソクラテスも、必ずしもそのままソクラテ
スの思想を語っているとは言えないということになります。実際、「エ
ウテュプロン」の対話の場面は、ソクラテスがこれから裁判に向かうと
いう場面に設定されたり、「クリトン」は死刑判決を受けた獄中に設定
されています。しかし、そんな場面で、実際にソクラテスがそんな長い
対話をしたというのは現実的とも思えません。「弁明」ですら、プラト
ンはその場にいなかったという設定になっているので、どうやって記録
したのかも不明です。
 
 結局、これら初期の作品も、プラトンの目から、彼が理想の「哲学者」
と考えるソクラテスの活動を描いたものであると考えるしかないのです。
つまり、そこからソクラテスの思想というものを取り出すとしても、ソ
クラテスの考えであるとプラトンが考えたものということになり、どち
らの思想であるかを区別することはできないことになるのです。
 
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 修訂・追記
 
 わが楽暦 19540817-19590818 5年間との決別
── 与太郎の画暦⦅いちめんのなのはな⦆パイロット、第二作。
 美校への失望 中退 看板教授(学校商法)
 
── ⦅旅のしおり 19540427 表紙⦆⦅黄金の腕⦆
https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/blog-entry-3488.html
 旅のしおり 〜 余太郎の出処進退 〜
 
── アルタミラ⦅野牛図 1952-1961 素描⦆ガリ版から銀座へ。
── ミケランジェロ《ダビデ像》コンテ画 ↓ カット
── 一年一学期、二年二学期、三年三学期 1954 同志社中学生新聞》
 
 ⦅沈黙の春⦆、後年、フォンタナの⦅川 196. ?⦆シリーズ
── ⦅わたしたちの美しい川 1961 チェンバロ・リサイタル⦆

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04月14日(日)
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