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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 家事の経済学 〜 Adam's Housekeeper was a Mother 〜
で若くして未亡人となった。当時、イギリスの法律では男性が財産を相
続する権利を得ていたため、息子であるアダム・スミスはが財産を相続
し、マーガレット・ダグラスはその後死ぬまでアダム・スミスの世話を
した。
マーガレット・ダグラスは365日家事をしていたかもしれないが、彼
女の労働はGDP(国内総生産)には換算されない。アダム・スミスが
『国富論』を執筆できるように毎日働いていたとしても、一般的な経済
学の定義からは溢れ落ち、何も生み出さないとみなされてしまうのだ。
もし彼女が家政婦として有給で働いていたなら、「価値ある労働」とし
てGDPに貢献できていたのだが。
ケア労働、家庭内の無償労働を無価値だと切り捨ててきた「経済学」
同じ家事という仕事をしていても「家政婦が結婚し、賃金が発生しな
くなれば国のGDPが減ってしまう」というおかしな現象が発生するのは、
「有給の仕事こそ価値があり、家庭内のケア労働は無価値」という世界
観が経済学の基礎をなすものだからだ。
GDPとは一定期間内に国内で算出された付加価値の総額のことだが、
GDPを算出する際、無償で行われているケア労働(家事、育児、介護など)
は無視される。アダム・スミスは母親の献身のおかげで研究に注力し、
書籍を書き上げられたが、母の献身は当たり前のものとして透明化され
ている。
アダム・スミスは男性中心の経済理論を設計し、母の活動に経済的価
値を認めなかった。アダム・スミスの経済活動を支えるために、マーガ
レット・ダグラスが行った献身は、母だから、女性だからして当然だと
みなされ、世の中で価値があるのは経済だけだ、という世界観が打ち立
てられたのだ。
女性の活動に価値を見出さない経済学は、多くの人にとって魅力的な
世界観であり、宗教のようなものだ。経済学者のロバート・H・ネルソン
は、「経済学者はアインシュタインやニュートンよりも神学者のトマス
・アクィナスやマルティン・ルターに近い」と言う。経済学者は現在の
聖職者であり、経済学者の仕事は、「経済発展こそが救済への道である」
と民衆に説くことなのだと。
家庭内の労働が経済の世界から排除され、価値のないものとされてき
た流れは、有償の労働にも引き継がれている。看護、保育、看護などの
労働は、有償になったとしても価値が認められにくく、賃金が安く、不
安定な仕事になりがちだ。
いうまでもなく、看護や介護、保育などの労働は、有償無償にかかわ
らず世界的に女性の割合が高い。女性は世界で人間に必要な有償労働の
66%を行いながらも、地球上で得られる10%ほどの収入しか得られておら
ず、全資産のたった1%しか保有していない(※1)という現状からも、
いかに女性の労働が、価値を低く見積もられてきたかがわかるだろう。
看護や介護、保育は、エッセンシャルワークだとして、コロナ発生以
降、「なくてはならない仕事なのに、不当に賃金が安い」と賃金の見直
しを後押しする声が高まっているが、改善の速度は不透明だ。(※2)
岸田政権がかかげる「新しい資本主義」に、「夕食を作る人」の視点
はあるか。
現在の主流派経済学やGDPの枠組みで、経済活動や付加価値を測る限
り、家庭内の無償労働および、無償労働の延長にあると考えられている
有償労働は、無価値化され続ける。そうなれば、男女の経済格差は縮ま
らず、看護や介護、保育の現場では人材確保が難しくなり、出産率は低
下し続けるだろう。
現在日本のGPDは世界3位だが、世界3位の付加価値を生み出している
国はどれほど豊かなのだろうか?
令和元年の日本の相対的貧困率は15.7%だ。また、全世帯のうち、55.
4%の世帯が「生活が苦しい」と感じている。母子世帯に限ると、実に86
.7%が生活の苦しさを感じているというのが実態だ。(※3)「経済発展
こそ救済」という宗教は、過半数の世帯が生活の苦しさを感じるという
麗しくない現実を作り出している。
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03月07日(月)
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