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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 鮭の実家 〜 さかなたちは故郷をめざす 〜
── 「いよいよ明日に決まったぜ、南行きの列車が出るんだそうだ。」
と入ってくるなり、熊中尉が言った。外套の肩にはりついていた雪の結
晶が、ちぢんで水滴にかわる。
「明日だって?」アレクサンドロフ中尉はかがみこんでいたスープ皿か
ら半分だけ顔をあげて、疑わしげに相手をみた。
「じやあ、十二号鉄橋地区の国府軍は、どうなった?」
「消えちゃったらしいね。」「消えた?」
「逃亡したんだろうと思うな……それで、明朝九時に出発ときまったわ
けだ。」(それじゃ、おれの脱出も、とうとう今夜に決まったな。)
――とストーブの灰をかきまぜながら久木久三は思った。そのはずみに
手がふるえ、ロストルが傾き、赤い火の塊りが床にこぼれてしゅうしゅ
う音をたてながら煙をはいた。「注意!」とアレクサンドロフが匙で軽
く皿の緑をうって、事務的に言った。
「鉄嶺(テイエリン)まで直行らしいよ。」と熊がストーブの上のスー
プ鍋をのぞきこんで目をほそめた。
「うまくいくとおれたちも、来年のいまごろは、ウラル越えだな……」
「そいつをいっぱい、ためしてみるかね?」(第一章 錆びた線路 1)
── 安部 公房《けものたちは故郷をめざす 195701‥-04‥ 群像》
http://uraaozora.jpn.org/abekemono.html
(20080520)
05月20日(火)
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