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与太郎文庫
by 与太郎
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■ レミの会 〜 平野家の人々 〜
/慶應義塾大学文学部/小説〜ウメ子/ああ言えばこう食う=壇 ふみ(共著)
♀清水 ミチコ タレント19600127 岐阜 /現姓=坂田 美智子/文教女子短大[B]
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♀栗原 はるみ 料理研究19470305 静岡 /玲児の後妻“カリスマ主婦”
── 平野 威馬雄はフランス系米国人を父、日本人を母とする混血児
であったため差別を受け、戦時中にスパイ容疑で投獄されたことさえあ
ったという。こういった体験から1953年、小説 『家なき子』 の主人公
の名にちなむ「レミの会」 (五三会) を、歌手の佐藤美子、俳優の江川
宇礼雄、オペラ歌手の藤原義江と結成し、以後30年近くにわたって自宅
を解放して混血児同士の交流を促す活動を行なった。
◇ ボーイッシュ考
隣室で妻の笑い声がする。平野レミの話が面白かったそうだ。
たしかに、こんなに明るくて屈託のない女性はめずらしい。
キャラクターを作っているのかと思ったが、どうやら天然ものらしい。
そこで「よく似た女性を知っている」と云ってから、本を取りだす。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070101
宿命 〜 文化果つるところ 〜
写真の頁を開いて「どうだ、背が高くて色が白くてボーイッシュだろ」
と解説する。旧姓・菅野尚子くんは、故・木村祥子の一年後輩にあたる。
もう少しで、彼女の訳詞がCDになって紅白で歌われたかもしれない。
── Author Unknown《A Thousand Winds 19‥‥‥ America》
── 新井 満・曲&訳詞/秋川 雅史・唱《千の風になって 20060524 CD》
…… 作者不詳/玉田 尚子・訳《あまねく吹く風》
── 《人花となれ風となれ 20040408 祥子の思い出文集》P170-171
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20130408 直向な女
◇
平野レミも、もう少し歌が巧かったなら、プロダクションが無理矢理
アイドルに仕立てて、すっかり別の道に引きずりこまれたかもしれない。
実は、むかし与太郎も、菅野くんに歌を褒められたことがある。
中学三年の与太郎は、一日中、アリガやタヌキやゴリと歌っていた。
主にキャンプソングだったが、賛美歌に編曲された謡曲《高砂》など
発見した(この件は下記に詳述)。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/index.html
↑谷本 岩夫《古い賛美歌》 ↓高砂三題(2〜3)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020901
与太郎たちの“枯木コーラス”は、四六時中、ところかまわず歌って
いたので、かげでは嫌味を云われていたはずだが、ほとんど耳に入らず
じまいだった。それでも、彼女の褒めことばだけは心に刻まれている。
◇
当時は、慶応大学の男声合唱団からダーク・ダックスがデビューし、
混声合唱にはない魅力が伝わってきた。ただし、彼らの曲目や唱法は、
どれもお坊ちゃん気質のマンネリズムなので、すぐに飽きてしまう。
そのころ、ジャズ・シンガーを評して、ゴリが云った。
「旗 照夫は、口の中のアメダマを吐きださないと一人前になれない」
どうせ誰かの聞きかじりだろうが、とてもうまい表現だと思った。
結局、当時の出版事情では、気のきいた楽譜がなく、レパートリーに
限界があって、高校では(四人とも)器楽部に入った。
(与太郎と有賀は、しばらくホザナ・コーラスにも参加していたが)
ふたしかな記憶では、枯木コーラスの残党が高校ブラスバンドに入り、
管弦楽団への改編にあたって、中学ジュニア・シンフォニーのメンバー
を勧誘することが焦眉の急となった(ただし思ったより非効率だった)。
そこに通りかかった宍戸 佐保子くんに声をかけ「こっちの水は甘い」
という趣旨の呼びかけをしたところ、彼女がイタズラっぽい表情でこう
云った。「みんな、ダーク・ダックスみたいね」
数年後に、ゴリが映画音楽やポピュラー・ミュージックを、レコード
から採譜して、はじめてポップスを演奏できたように、演奏技術よりも
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04月12日(木)
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