ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
[1051584hit]

■ レミの会 〜 平野家の人々 〜
/慶應義塾大学文学部/小説〜ウメ子/ああ言えばこう食う=壇 ふみ(共著)
♀清水 ミチコ タレント19600127 岐阜 /現姓=坂田 美智子/文教女子短大[B]
────────────────────────────────
♀栗原 はるみ 料理研究19470305 静岡 /玲児の後妻“カリスマ主婦”

 
── 平野 威馬雄はフランス系米国人を父、日本人を母とする混血児
であったため差別を受け、戦時中にスパイ容疑で投獄されたことさえあ
ったという。こういった体験から1953年、小説 『家なき子』 の主人公
の名にちなむ「レミの会」 (五三会) を、歌手の佐藤美子、俳優の江川
宇礼雄、オペラ歌手の藤原義江と結成し、以後30年近くにわたって自宅
を解放して混血児同士の交流を促す活動を行なった。
 
 ◇ ボーイッシュ考
 
 隣室で妻の笑い声がする。平野レミの話が面白かったそうだ。
 たしかに、こんなに明るくて屈託のない女性はめずらしい。
 キャラクターを作っているのかと思ったが、どうやら天然ものらしい。
 
 そこで「よく似た女性を知っている」と云ってから、本を取りだす。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070101
 宿命 〜 文化果つるところ 〜
 
 写真の頁を開いて「どうだ、背が高くて色が白くてボーイッシュだろ」
と解説する。旧姓・菅野尚子くんは、故・木村祥子の一年後輩にあたる。
 もう少しで、彼女の訳詞がCDになって紅白で歌われたかもしれない。
 
── Author Unknown《A Thousand Winds 19‥‥‥ America》
── 新井 満・曲&訳詞/秋川 雅史・唱《千の風になって 20060524 CD》
 
…… 作者不詳/玉田 尚子・訳《あまねく吹く風》
── 《人花となれ風となれ 20040408 祥子の思い出文集》P170-171
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20130408 直向な女
 
 ◇
 
 平野レミも、もう少し歌が巧かったなら、プロダクションが無理矢理
アイドルに仕立てて、すっかり別の道に引きずりこまれたかもしれない。
 実は、むかし与太郎も、菅野くんに歌を褒められたことがある。
 
 中学三年の与太郎は、一日中、アリガやタヌキやゴリと歌っていた。
 主にキャンプソングだったが、賛美歌に編曲された謡曲《高砂》など
発見した(この件は下記に詳述)。
 
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/index.html
 ↑谷本 岩夫《古い賛美歌》 ↓高砂三題(2〜3)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020901
 
 与太郎たちの“枯木コーラス”は、四六時中、ところかまわず歌って
いたので、かげでは嫌味を云われていたはずだが、ほとんど耳に入らず
じまいだった。それでも、彼女の褒めことばだけは心に刻まれている。
 
 ◇
 
 当時は、慶応大学の男声合唱団からダーク・ダックスがデビューし、
混声合唱にはない魅力が伝わってきた。ただし、彼らの曲目や唱法は、
どれもお坊ちゃん気質のマンネリズムなので、すぐに飽きてしまう。
 
 そのころ、ジャズ・シンガーを評して、ゴリが云った。
「旗 照夫は、口の中のアメダマを吐きださないと一人前になれない」
 どうせ誰かの聞きかじりだろうが、とてもうまい表現だと思った。
 
 結局、当時の出版事情では、気のきいた楽譜がなく、レパートリーに
限界があって、高校では(四人とも)器楽部に入った。
(与太郎と有賀は、しばらくホザナ・コーラスにも参加していたが)
 
 ふたしかな記憶では、枯木コーラスの残党が高校ブラスバンドに入り、
管弦楽団への改編にあたって、中学ジュニア・シンフォニーのメンバー
を勧誘することが焦眉の急となった(ただし思ったより非効率だった)。
 
 そこに通りかかった宍戸 佐保子くんに声をかけ「こっちの水は甘い」
という趣旨の呼びかけをしたところ、彼女がイタズラっぽい表情でこう
云った。「みんな、ダーク・ダックスみたいね」
 
 数年後に、ゴリが映画音楽やポピュラー・ミュージックを、レコード
から採譜して、はじめてポップスを演奏できたように、演奏技術よりも

[5]続きを読む

04月12日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る