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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 恩師の初任給 〜 学校商法入門 〜
下村 福 “フクちゃん”国語 1923‥‥ 京都 19990205 76 /正太郎13(大丸)の弟
並河 純 “純ちゃん” 古文 19260701 島根 19870519 60 /山陰酸素工業社長
谷本 岩夫“ポンちゃん”化学 19290114 京都 20160910 87 /1955-1959,1966
高橋 哲郎“テッちゃん”物理 19321211 栃木 20050914 72 /1956-1979
このエピソードは、別稿《母屋と庇》でも詳述している。
かつて立石電機の創業者は、弟の勤める大丸百貨店の軒先を借りて、
新案のズボン・プレッサーなどを大道香具師のように売っていた。
それがのちに西のソニーと並び称される大企業に成長して、三男坊が
私立高校に進んだら、大丸の二男坊が古文を教えていたのだ。
こういうめぐりあわせは、それなりに奇妙な偶然である。
…… おなじ国語教諭で、大丸の次男だった“フクちゃん”こと下村福
先生にはかなわないが、並河先生も故郷では財界御曹司(安来商工会議
所会頭)として、わがままに育てられた“ボンボン”である。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570316
── 卒業記念誌《煤t
当の“フクちゃん”は、与太郎が寄稿した文芸部誌の発行人でもある。
中学時代には気づかなかった社会の仕組が、高校生になれば分る。
たとえば、経済市場においては、売り手よりも買い手が優位に立つ。
生徒が買い手で消費者なら、先生は売り手で生産者である。
なにゆえ学校の中では、生産者に叱られ、消費者の肩身が狭いのか。
先生が揉み手して「いらっしゃいませ」というべきではないか……。
…… 俺にはこの学校に対して『入れてもらった』という気持は毛頭な
い。正直なところ、この学校が俺という薬にもならん人間に選ばれたま
での話である。── 《諫争 195506‥ 山脈・第九号》文芸部誌
いみじくも入学早々の感想文は、このような書きだしで始まる。
このあと集団カンニング事件を活写したために、事実上の発禁処分と
なるが、学校側の巧妙な処置で、もののみごとに鎮圧された。
…… 四年目の高校生活も、終りが近づく。受験も気になるが、手塩に
かけたオーケストラの将来に期待もある。楽器はまだまだ足りない、と
くにティンパニーが必要だ。十字屋にミニサイズの新品が九万円で出た
と聞いて、校長室のドアをノック。就任直後の高橋 勘 校長に直訴する。
「金を貸してください、後輩たちが三年かけて返します」(19870928)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581126
振太郎 〜 ポピュラーコンサート以後 〜
要するに与太郎は、四年間も授業料を払って、上得意になっていた。
新任校長は顔色も変えずに反問した。「どうやって返すつもりかね」
「毎年3万円、後輩が3年かけて返します」
「ようし、貸してやろう」新任校長の即断もみごとなものだった。
この考え方は、いまにいう借金を後世に委ねる“債券発行”である。
どうして思いついたのか、われながら緻密な策略だった。
かいつまんで云えば、予算会議での経験を、新聞で総括して、財政
に関する見識を公表したこと、オーケストラのごとき遠大な計画を、
生徒だけで実現しつつあったことが評価された。しかも落第生が……。
予算会議の採決システムから“一票の格差”を指摘している。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581003
── 《予算会議の反省 19581003 同志社高等学校新聞》
◆
いま再検証するに、学校経営には奇妙な特性がある。
既製の学校に通うよりも、いっそ自前で家庭教師を雇ってはどうか。
むかし貴族が、青年を寄宿させて、子弟の教育に当らせたように。
あらためて当時を思いだすと、つぎのような収支が浮びあがる。
生徒1080人で10万円ならば年総額1億800万円である。
教員60人の給料総額が約600万円ならば、笑いがとまらない。
当時の地価は(校長いわく)坪3000円だった。
4000坪としても総額1200万円(人件費2年分にすぎない)。
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01月14日(日)
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