ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 宿命 〜 文化果つるところ 〜
中国漢字の簡略化(【簡体字】化)が始まったのは、中国共産党が政
権を握ってからすぐである。二千年の伝統を保っていたそれまでの中国
漢字は、多くの人力と資金を浪費して瞬く間に変更された。その背後に
はもちろん、学者らによる十分な議論や考察などあるはずもなく、異論
を唱える者は「右派」として厳しく批判された。
1950年代以前、高校卒業程度の教育を受けた人は、古代の人が壁や石
などに彫った文字や歴史的建造物に残された対句詩(通常、扉の両側に
書かれている)などを理解することができた。現在、中国の若者は、そ
れらを理解することができず、古文はおろか、香港や台湾の現代小説を
読むのも一苦労である。
古文を読むことは、自国の伝統や文化を理解するのに非常に重要であ
る。多くの図書館には本来の正体字である【繁体字】で書かれた古文が
多数存在するが、それらを検索するには簡体字は使えない。従って、全
ての図書館では二つの検索機能を備えなければならず、それにかかる余
計な労力、コストは図り知れない。
簡体字の利用によって、繁体字を利用する台湾との文化的交流にもひ
びが入る。大陸の若者が香港や台湾のメディア情報を読むのに苦労する
一方、繁体字に慣れ親しんでいる多くの海外の中国人たちは簡体字のニ
ュースを読みたがらない。
中国語、そしてそれを書き表す中国漢字は、長い歴史を有する中華文
化の体現である。中国共産党は、樹立した新政権を強固にするには、そ
の悠久の歴史を有する文字を解体して、新しい文字を利用すれば効果が
あると判断したのであろう。
また、簡体字化運動の裏には、当時の軍隊のリーダーたちの教育レベ
ルが低かったという要因もある。
多くの党員や兵士は文盲であったにもかかわらず、責任ある地位をま
かされるという矛盾が生じていた。そのため、簡体字化の政策が早急に
推し進められたのである。
簡体字化はほんの数カ月で行われ、その過程では、通常あるべき学者
や識者による十分な議論が行われなかった。一般に、どのような改革を
行うにも、賛成派と反対派があり、それらが議論することによって適切
なチェック・アンド・バランスの機能が働くものである。ところが、中
国語の文字改革は、十分な議論や研究もないままに1956年に慌しく施行
され、規律のない様々な文字が生まれた。それが中国語文字のシステム
を混乱させることになったのである。【大紀元日本12月31日】
(20061231 11:34)
http://jp.epochtimes.com/jp/2006/12/html/d71567.html
(´・ω・`)(`ハ´ )さん :
2007/01/02(火) 03:01:30 ID:Jr4iJuLN
>>187
オデ、今
倉石武四郎&折敷瀬興編の岩波日中詞典もっているんだけども・・・
折敷瀬興氏のことば・・・
11行めから「中国は新しい時代の潮流・事物を反映した新しい概念
やことばを、様々な領域において数え切れないほど生み出した。それに
応じて、この日中辞典の改訂にあたっては、見出し語あるいは用例に対
置させていた中国語の訳語・訳文の全面的な見直しと、それにともなう
中国語の追加・変更・削除を行った。初版に掲げていた中国語について、
その意味と用法の範囲に変動があり、拡大または縮小したものすべてに
できるかぎりの調整と変更を加えた。・・・」
(20070101-0116)
01月01日(月)
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