ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
[1052286hit]
■ 老いらく考 〜 歌よむ人々 〜
さらに三年後、満73才の歌人が満37才の新妻に先立たれている。
ふたつの事件は、京大と東大、人妻と元芸妓の対比でも印象的だった。
いま思えば、中学時代の恩師の仇名“老いらく”の由来らしい。
♪「夏樫を なつかしと詠む 万葉かな」(Mai'20010210 to Mrs.Eiraku)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041216 〜 高島春江先生講義録 〜
うろおぼえの聞きかじりによると高島先生は、畏れおおくも歌会始の
入選者であるとともに薙刀の有段者、女だてらに文武両道なのだ。
おそらく、このイメージが“老いらく”連想に矛盾したのであろう。
ある日、パーマをかけて来られたところ、悪ガキが「老いらく!」と
野次ったのではないか。あろうことか、ふだんは厳格な表情の先生が、
たちまち乙女のように、顔を赤らめられたのではないか。
本来は、キッとなった先生の鋭い反撃が予想されたのに“はじらい”
こそが、未亡人であるらしい先生のウィークポイントだったのだ。
くわしい事情は中学生には分らないが、あるとき詩人・小野 十三郎
に対する尊敬の念を語られたこともある。
あるいは与謝野晶子が鉄幹に、樋口一葉が桃水に対するごとしや。
◆ もろともに
── 《君の名は》は、最初の半年くらいは不幸な女性の境遇を描いて、
なかなか文学的だったんだよ。役者が休んだりするので、会わせるわけ
にいかないから、すれちがいになったんだ。するとハガキが沢山きた。
── 《映像ファイル・あの人に会いたい「菊田一夫」
20050918(日)19:45〜19:55 NHK教育》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19670707 哀愁 〜 すれちがいの美学 〜
また、銭湯が空っぽになったという伝説は、いささか疑わしい。
当時の庶民は、風呂がなくてもラジオはあった。
どちらもなければ、銭湯へ行くと《君の名は》を聞けたはずである。
ただし、玉音放送の時は、各家庭のラジオは強制撤収され、町内には
数軒しか残っていなかった。したがって、みんな集められて聞いたのだ。
先生は、低俗な《君の名は》を、きらっておられた。
三学期最初の授業で高島先生が詠まれた二重橋事故(19540102)の歌。
♪「ことほぎて 集ひし人の/……/ニュース悲しも(出典未詳)」
── 《虚々日々 20001224 阿波文庫》P024-027
♪「もろともに いや健やかに いや栄えに 暮しまほしく 祈る初春」
芝山 マツ先生の、お手本のような新古今調(Let'19520104)。
── 《虚々日々 20001224 阿波文庫》P013
下記の作者は、学習院教諭(19260303生)とは同姓同名の別人。
197301‥ 子ども ↓ 埼玉県 新井 正夫(1910ca生?)
♪「四十年の勤めはたして子らと立つ日向の灘は晴れてかぜ凪ぐ」
http://www.kunaicho.go.jp/utakai/utakai-s48.html
◆ ageing
のちのち、ベラミ同窓会で「明治は生きている」と紹介したところ、
とても恥かしそうに挨拶されたのが悔やまれる。宴のあとも、教え子に
目をとめて去りがたい風情だった。もちろんパーマされていたが。
教え子は、駆けよって一言つけ加えるべきだった。
「センセ、さきほど明治は生きていると言ったのは、明治は遠からず、
というつもりだったのです」
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710115
同窓会始末 〜 閉会あいさつに代えて 〜
(20060131)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060112 笑み 〜 歌会始の儀の歌 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060113 歌会始 〜 年譜/御題一覧 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060114 クレマチス 〜 与太郎の歌はじめ 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060120 老いらく考 〜 歌よむ人々 〜
(2006-20080714)
01月20日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る