ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 恩師の条件
70歳以上の方に質問です。自分の子供から親孝行されたことがあり
ますか?何をしてもらったら一番嬉しいでしょうか?嬉しかったでしょ
う? お金が欲しいですか? 旅行がしたいですか?
「あなたが元気で幸せならそれでいい。」といつも言うだけです。
親孝行したいのですが。主人の仕事の都合で遠く離れた外国に住んでお
ります。
わたしは、小学校以来の恩師5人に、なるべく御誕生祝を届けます。
「あなたのことを、いつも思いだしているんですよ」というわけです。
人は、忘れられることが、いちばん淋しいのではありませんか。
知恵袋
恩師に、お誕生日の贈物をしたら、とても高価なお礼の品を頂戴して
しまいました。過分なお返しは「もう贈らなくてよろしい」という合図
だと聞いたことがあります。流派によって解釈が異なるのでしょうか?
http://knowledge.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=4932103
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街の灯
最後の学芸会はなかなかの趣向だった。主人公の悪役を、S君(柴原)
と私がダブル・キャストで演じることになった。主役同志は互いの家を
親しく訪問するほど意気統合した。
S君の一家は寺に間借していて、その貧しさは歴然としていたが、母
親は幼い妹を背に弟を叱りながら、父親は寝床に起きなおって、ちいさ
な客人を歓迎してくれた。
枕元には筆や絵皿が散乱している。「君が絵を習いたいなら父ちゃん
に頼んでやるよ」「うん、習ってみたいな」というような会話から、私
は病める画伯のもとに入門した。
師匠は、絵をまなぶ者の心がまえとして「通俗に染まってはいけない、
たとえばベースボールごときは一時的な流行にすぎない」とか「肥桶は
一個をみれば醜だが、数十数百と積みあげれば美となる」などと説いて
新弟子のために漢文調のノートを綴った。
かつて戦死した日本画家も「貧者士之常」を頭上にかかげていたこと
が思いだされる。
何度目かの講義のあと、S君が「これから父ちゃんの絵を売りにいく」
というので、私も期待して同行することにした。
暮れなずむ繁華街に着くと、S君は赤ちょうちんの屋台に首をつっこ
んで、風呂敷包みから数枚の色紙を取りだし、商談をはじめた。色紙に
は、お多福や瓢箪が描かれている。やがて、にっこり笑ったS君の首が
あらわれ、私を菓子売りの屋台に案内すると、あやしくも甘いものをふ
るまってくれた。
しかし、つぎの商談はなかなかまとまらず、二人の主役はすっかり腹
を空かした。ようやくのことに、お多福が売れたので、悪役どもは一片
のパンを分けあって食べた。
── 《私の昭和史 1988 草稿の一部》
── 《Day is Day 19500727-19511030 書簡目録》
── 《子猫物語 〜 猫小屋ができたわけ 〜 与太郎文庫》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20050430
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── 私は実は、灘高校といういわゆる進学名門校を卒業している。私
が卒業したころは、東大合格者数全国トップの学校だったのだが、日本
の受験生の勉強のしすぎが声高に批判されていた当時は、随分、風当た
りが強かった。詰め込み型の受験勉強ばかりしていると思考力が育たな
いだの、性格が悪くなるだのと受験勉強が悪者視され、その勝者である
灘高生や東大生も肩身が狭かった。
現在の学力低下がこの手の価値観にも責任があることや、受験勉強が
性格形成や思考力に悪影響を与えるというバイアスが嘘だと書くべく、
3月に『受験勉強の技術』(講談社現代新書、735円)という本を出
した(タイトルは受験技術書のようだが本来書きたかったのはそういう
問題だ)のだが、その後、当時の灘高の教育が受験対応的なものではな
く、むしろ自由で創造的な旧制中学の香りのする学校だったというドキ
ュメントが出た。フジテレビ「報道2001」キャスターの黒岩祐治さ
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06月26日(日)
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