ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
[1052854hit]
■ 三題噺 〜 ユネスコ・ユニセフ・エネスコ 〜
帰国した。ユネスコのパリ本部での三十余年のキャリアを買われ、来年
二月にインドで開かれる文化産業の世界シンポジウムを支援している。
その打ち合わせだった。
同志社中学、高校から国際基督教大、米国コロンビア大を経てユネスコ
へ。採用をめぐる紆余曲折はさらりと終えた。要は自分が何をしたか。
それを話したい。そんな思いが伝わってきた。
ミャンマー、モーリタニア、カリブ海諸国など、ユネスコで四十件以
上の教育プロジェクトにかかわった。「アフガニスタンはですね…」。
真っ直ぐな視線。よどみなく話していく。内戦が続いていた一九九一年、
前任者からアフガンのプロジェクトを引き継いだ。
「識字率を上げたいと思いました。ユネスコの過去の例では、プロジ
ェクトの数年間は数字は上がりますが、元へ戻ってしまう。失敗から学
ばなければなりません」。学校を建てたり、先生を送り込むのではない、
別の方法を考えた。
ラジオを思いつく。「生活の知恵や病気、仕事の話も盛り込んで面白
いドラマをやる。同時にドラマに関する本もつくるんです」。当初、
ユネスコは、このアイデアを「ラジオの数が足りない」と突っぱねた。
「ドラマが面白ければ、人々はラジオを探し、その時間になれば必ず
集まる」と反論。子どものころ、銭湯のラジオにドラマを聞く人だかり
ができていたことを思い出したから。(注1)
同時期、アフガンで、伝統のじゅうたんづくりを産業にするプロジェ
クトも進めていた。だが、肝心の十五〜十六世紀の模様が残っていない。
当時の絵画に描かれた小さなじゅうたんを拡大して、復元につなげた。
プロジェクトは基本的に一人で担当するが、もちろん全部をやれるわ
けはない。問題に直面すると頭を回転させ、記憶を呼び起こす。「これ
は、だれに聞けばいいだろう。人の顔を思い浮かべるんです。それには、
どれだけ人を知っているか。国際会議は知り合うチャンスですね」。
当時を思い出して、今もワクワクしている。
アフガンのプロジェクトの様子を手に取るように話すが、現地へ足を
踏み入れたことはない。安全上、派遣が許されなかった。仮に派遣がか
なっても、長期間は滞在しなかっただろう。それは「長い時間、家を離
れたくなかったから」。フランス人の夫と二人の娘がいる家庭を大切に
してきた。
今、アフガンでラジオ番組は続き、伝統の模様を復元したじゅうたん
が織られている。統計となって効果が分かるのは、まだ先だろう。「本
がほしいという声が、アフガンから上がっているんです。彼らにモチベ
ーションをつくることができた。私にとっては、このプロジェクトの到
達点ですね」
うまくいかなかったプロジェクトもある。イラクでチョーク工場をつ
くろうとしたが、つまづいた。二〇〇一年にユネスコを退職したが、
「どこかで何かやりたい若者たちの相談相手になりたいの」。成功も
失敗も、ユネスコで学んだ方法論を伝えたいと願う。
なぜ、ユネスコへ? 「中学時代の作文に、『将来はユネスコで働き
たい』と書いているんです。当時、ユネスコが話題になっていたのかな。
その意識がずっと頭から離れなかったんですね」(注0)
(文化報道部 松本 邦子)
(写真上)「ユネスコの仕事を通じて、世の中のほんの一部でも変えら
れたかな、と思っています」
(写真下)母校の同志社中(京都市上京区)で、すれ違った後輩たちに、
ほほえみかける。
────────────────────────────────
アウトサイト ガリ勉でなく ロマンチスト
「高校生の時から、きれいで優しくて、そのままステキに年齢を重ね
てこられた」。同志社高校からの親友・平山百合子さんは、そう話す。
高校では一緒にESSで英会話を勉強していた。そのころから、国際的
な仕事をしようという思いが、お互いに暗黙のうちにあったと思います。
平山さんも東京で外国人ビジネスマンの妻たちに、日本文化の講座を続
[5]続きを読む
12月16日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る