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与太郎文庫
by 与太郎
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■ やはり野に置け 〜 玉と王の対話 〜
 3 日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわら
ず、寸法の割合について縦を横の十分の七とし、かつ、日章の中心の位
置について旗の中心から旗ざお側に横の長さの百分の一偏した位置とす
ることができる。
 
 別記第一(第一条関係)
 日章旗の制式
 一 寸法の割合および日章の位置
 縦 横の三分の二
 日章 直径は縦の五分の三、中心は旗の中心
 二 彩色
 地は白色、日章は紅色
 
 別記第二(第二条関係)
 君が代の歌詞および楽曲
 一 歌詞
 君が代は
 千代に八千代に
 さざれ石の
 いわおとなりて
 こけのむすまで
 二 楽曲=楽譜略
 
── 二十一日夕、衆議院内閣委員会で自民、自由、公明三党や民主党
の一部などの賛成多数で可決された。── 《山陽新聞 19990722 》
 

19990809 参議院可決
────────────────────────────────
 Fenton,John William 18280712 England 19...... ? 
18680404 慶応 4.0312 来日1868離日19..前妻=アニー・マリア(横浜没)
1883.... 英陸軍年金支給後消息不明

── 《Day was Day 20001224 Awa Library》
 
>
 
 君が代と皇室 千代に八千代に続くには
 
 3月28日の当コラムで「君が代に2番を加えていたなら」と書いた
ら、何人もの方から指摘があった。君が代にはもともと2番があったの
だ、と。
 
 調べると、1881(明治14)年発行の音楽教科書『小学唱歌集初
編』に載った「君が代」には、なるほど2番がある。「きみがよは 千
尋の底の さざれいしの 鵜(う)のゐる磯と あらはるるまで……」。
歌詞はまだ続くのだが、何と1番にも「こけのむすまで」の続きがある
ではないか。曲も違う。似て非なる君が代だった。
 
 ミステリーじみているが、これは実際には余り歌われなかった。同じ
頃にできたもう一つの君が代が天皇をたたえる歌として広まり、事実上
の国歌になっていく。そこに2番はなかった。
 
 ◇    ◇    ◇    ◇
 
 天皇が「現人神(あらひとがみ)」とされた時代は敗戦で終わったが、
君が代はそのまま残った。そこに違和感があったのだろう、例えば読売
新聞は社説で「われわれは、この新生日本にふさわしい新しい国歌を要
望している」「歌わされるものでなく、歌いたくなるものが作られなけ
ればならない」と書いた(1948年1月25日)。
 
 しかし、新国歌はできなかった。ならばこのとき、せめて君が代に新
たな発想の2番を加え、戦後的なメッセージを盛り込めなかったか。私
が言いたかったのは、そういうことだ。
 
 多くの方から共感のお便りをいただいたが、うかつにも、すでに同様
の提唱者がいたのを知らなかった。
 
 例えば朝日新聞の先輩でもあるジャーナリスト伊波新之助さんは、国
旗・国歌法ができた99年、月刊『戦略経営者』9月号で「君が代に2
番、3番をつくろう」と唱えていた。2番は「国民(くにたみ)われら」
で始め、国民の繁栄や幸福を願う。3番は「集えるわれら」などとして、
日本に住む人々の共生をたたえる。そんな案だ。
 
 そのころ「人類の理想を掲げた2番を」と、朝日新聞に投書した読者
もいた。載らなかったのは残念だが、もしこんな発想が実っていれば、
いまどき国旗国歌をめぐって強制だの処分だのという騒ぎはなかっただ
ろう。
 
 さて、政府によれば、君が代の歌詞はいま、天皇を象徴とする我が国
の末永い繁栄や平和を祈る意味だ、とされている。ともあれ君が代を国
歌に定めたことは、将来にわたって天皇制を続けるという宣言でもあっ
た。
 
 確かに多くの国民はいまの天皇制を支持し、その継続を疑ってはいな
い。ただし、それは昭和天皇の人間宣言以来、国民を大切にしよう、外
国とは仲良くしようと、皇室も心がけてきたからに違いない。現在の天

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10月29日(金)
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