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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 新珍代謝 〜 クロート・セミプロ・ドシロート 〜
何を言いいたいのか論旨不明の発言がつづいて、司会者を困惑させた。
このとき「場の空気を読める人」があらわれて、助け舟を出した。
「彼の発言を(われわれ日本人は)意見として聞くべきではなくて、
詩人の祈りとして、しずかに耳をかたむけるべきなんです」
硬骨の人・高野 孟が、はじめて重厚な存在感を示した一言だった。
19440319 東京生まれ/異説19440417
1968.... 早稲田大学文学部西洋哲学科卒
通信社、広告会社勤務の後、フリー・ジャーナリストに。
1975.... 情報誌《インサイダー》創刊に参加。
1980....(株)インサイダー設立、代表兼編集長に。
1994....(株)ウェブキャスター設立、オンライン週刊誌『東京万華鏡』創刊
2002.... 早稲田大学客員教授に就任、「大隈塾」担当。
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2つの誕生日?
3月19日に東京・築地の聖路加病院で生まれたことになっているが、
本当の誕生日は4月17日。4歳で幼稚園に入ったが、「お遊戯」が嫌い
で3カ月で登園拒否、家でブラブラしているので母親が困って、1年早
く小学校に入れるために区議会議員に頼んで戸籍を書き換えた。
父親の高野実は、戦前からの職業的革命家・労働運動指導者で、戦後
は「昔陸軍、いま総評」と言われた頃の総評事務局長。母親の倭文子(
しずこ)は、戦前に『中央公論』編集者で、戦後は小唄の師匠、英語塾
の経営者として家計を支えた。2人とも1974年9月に亡くなった。
孟は、はじめと読む。元々この字は、兄弟姉妹の一番上、季節の初め
という意味で、孟女といえば長女、孟夏といえば初夏のことである。
動詞では「つとめる」と読み、困難を冒して前進するという意味になる。
アンビヴァレントな青春
高校2年生で安保反対のデモに参加。この頃は忙しくて、早稲田大学
付属の高等学院で吹奏楽部に所属し、1年生でトランペット、2年生で
サクソフォン、3年生でキャプテン兼指揮者をやる傍ら、ジャズバンド
やブロックフレーテ(英語ではリコーダーと呼ばれる木の笛)のバロッ
ク・アンサンブルをやったり、新宿のキャバレーや厚木の米軍基地の将
校レストランでサックス吹きのアルバイトをしたり、母親の経営する英
語塾で先生をしたり、丹沢山塊を中心に山登り・沢登りをしたり、友達
と一緒にオーダーメイドの自転車を買ってサイクリングをしたり、禅研
究会に参加して毎週日曜日早朝に座禅を組んだり、「ストリップ研究会」
を組織して浅草・新宿・渋谷および鶴見・船橋あたりの劇場に通い詰め
たり、マルクス・毛沢東・サルトルを読み耽ったり、学園祭でロシア語
劇(ゴーゴリの『検察官』――第2外国語がロシア語だったので)、デ
モに参加したり……まあ大抵の面白いこと(と同時に若干の人生の悲哀)
は16〜17歳で経験してしまう典型的な都会派高校生だった。
安保の頃は、昼間は「安保反対、岸(信介首相=当時)を殺せ」と叫
んで反米デモをして、夕方18時になると親米に変わって新宿西口から米
軍のカーキ色のバスに乗って厚木基地でバンドのアルバイトをするとい
う、まことアンビヴァレントな青春だった
http://www.smn.co.jp/takano/who.html
07月29日(木)
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