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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 陰陽一致
渡辺茂夫は日本が泥沼の太平洋戦争を始めた頃に生まれた。母はバイ
オリニスト、そして、茂夫が4歳の時、継父となった季彦も国内では著
名なバイオリニストであった。
日本が戦争に負け、国を挙げての復興の中、茂夫は父によりスパルタ
教育を施され、バイオリン漬けの幼少時代を過ごす。そして、7歳の時、
音楽会で大人でも難解な曲を弾きあげ、一躍「天才少年 現る」と脚光を
浴びた。後にバイオリンを弾く少年の役で映画にも出演し、茂夫の名は
全国に知れ渡ることとなる。
小学校を卒業し、中学に入学した頃、運命的な出会いはやってきた。
「20世紀最高のバイオリニスト」といわれた「ハイフェッツ」の来日、
父、季彦も憧れるバイオリニストである。茂夫は幸運にもハイフェッツ
の前で、演奏する機会を得た。しかし、この出会いこそ悲劇の始まりだ
ったのである…。
極度に緊張したという茂夫の演奏を聞いたハイフェッツは、一発で
茂夫に惚れ込んだ。「私は日本で天才少年を発見することができた」、
ハイフェッツがアメリカに帰るとすぐに茂夫のもとに手紙が届いた。
「アメリカに来ないか?」
こうして、海外への渡航もままならない時代に、茂夫は、かの有名な
ニューヨークのジュリアード音楽学院に、授業料免除の特待生として、
アメリカに渡った。
この時、茂夫は14歳、ジュリーアードでは史上最年少の特待生であっ
た。
そこでも茂夫の才能は群を抜いていた。伝説の教師といわれたガラミ
アン教授は茂夫を自宅に寄宿させ、レッスンをする。夏には、生徒たち
が保養地に行き、音楽漬けの日々をおくる。ここは、「ガラミアン学校」
と呼ばれ、最終日には、弦楽4重奏が行われる。当然、選ばれるのは
ガラミアンのお眼鏡にかなった者だけだ。もちろんバイオリンは茂夫だ
った。
この時、ビオラを弾いていた女性は当時の茂夫を振り返りこう語った。
「茂夫は20世紀のモーツァルトだったわ……」
しかし、茂夫は少しずつ病んでいった。言葉の分からない異国での生
活、自分が長らく信じてきた演奏方法をガラミアンに直されるという苦
痛。次第に茂夫は学校に行かなくなり、ガラミアンの家からも出ること
になった。
身を寄せたのは、アメリカ日本協会の家庭、茂夫は日本への帰国を希
望するようになるが、「日本から招いた特待生をこんな状態で返すのは
まずい」というアメリカ側の思惑もあり、それはかなわなかった。
茂夫がここで描いた1枚の絵、そこにはベッドに鎖でつながれ、バイ
オリンを弾く少年の姿があった。
そして、茂夫は精神病院に通院し、回復をみせる。退院後は一人暮ら
しを始め、ようやく日本へ帰れる目途がついた矢先、茂夫は自殺を図っ
た。渡辺茂夫16歳の秋である。
病院に担ぎ込まれた茂夫はかろうじて、命をとりとめた。しかし、や
っとの思いで帰国した茂夫は、もはや、バイオリンを弾くことも、自ら
の足で立つことも、話をすることも出来ない身体になっていた。
平成10年、茂夫が自殺を図ってから40年が経っていた。茂夫は今でも、
鎌倉で父と2人で暮らしている。40年間、口を利くこともなく…
父の懸命の介護によって何とか人の力を借りて歩けるようになったが、
56歳になった茂夫はまるで老人のようだった。喜怒哀楽はあるが、反応
は鈍く、赤子のようでもある。40年という月日の流れ…
今でも父は信じている。「茂夫が自殺なんてするわけが無い、茂夫は
体裁が傷つくことを怖れた人々に殺されたんだ。ギャングに殺されたん
です…」、確かにこの事件に大きな力が働いた可能性がまったく無いと
は言えない。父季彦は確信している。しかし、真相は闇の中だ。
「神童」がその才能を自らの意志で葬り去ろうとしたあの時から40年、
父は未だに目の前で物言わぬ息子の自殺を信じられない。
悲劇は終わっていないのだ……… 《夢まんじゅう vol. 6 19980526》
http://www1.nisiq.net/~yojiro/yumeman6.htm
…… 向いの角から3軒目まで90歳のお年寄りが一人づつ住んでいる。
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02月10日(月)
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