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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 一芸の人々 〜 情報美学外論 〜
 個性や多様性をとなえる人々は、変形文字や絵文字などの隠語体系を
生みだしたりするが、いつのまにか放棄して継続しない。
 こうした考察について、以下“情報美学”と総称する。
(Day'20020925-1114)
 
■2002/11/14 (木) 情報美学について
 
 そもそも、女子社員の引出しには、弁当箱やハイヒールなどが入って
いるのではないか。彼女たちが否定しても、手洗いに起つときまでカギ
をかけるのは、情報の私物化ではないか。
 いそいで論証することもないが、“情報美学”をホームページで検索
すると、つぎの項目があった。
 M・ベンゼ・著/草深 幸司・訳 《情報美学入門 1993 勁草書房》
 著者はドイツの哲学者で、情報美学の創始者(生没年不詳)。訳者は
1937年神戸生れ、多摩美術大学教授……。
 余太郎が、そもそも“情報美学”を創称したのは、1982年6月ころ、
ある会社のミニ・セミナー(新入社員研修)だった。
 経済学・経営学・情報管理・情報美学・テストの順に、三十分五日間
のプログラムを組んだ。
 システム工学や情報工学という呼称は存在していたが、“情報美学”
は聞いたことがない。インターネットが普及するまで、誰が何を論じて
いるか、門外漢には見当もつかなかったのだ。
 このセミナーで余太郎が述べたのは、情報の共有化である。
 多くの会社員にとって情報とは前例であり、その記録であるが、これ
を個人の記憶に頼るのではなく、共有して管理すべきとの提案である。
 誰もが同じ情報を持つことは、農耕的平等主義では重要な要素だが、
情報価値は低下する。ひとりが知らないことは、他の誰も知らないこと
になる。かくして実態は、皆が同じ情報をバラバラに持っているだけで、
その資料も個人的に保管されている。机の引出しを他の社員が開ければ、
とくに女子社員の総スカンを食らうにちがいない。
 小さな会社では、資料室や倉庫がないから、社員の机こそ共有すべき、
という提案は、発想転換のための抽象論だったのだが。
 
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■2002/11/14 (木) 真夏の柿について
 
── 規格外の少々難ありの柿ですが、お許し下さい。
 十二月十四日、十時より母の十三回忌法要を営みます。
 お参り下さい。── 杉原 正 (Let'20021112)
 
 岐阜より柿が届く。柿の季語は秋だったかな?
 おとといは神無月(旧暦十月)八日だが、葉月(旧暦八月)の季語は、
柿の花・柿の薹(仲夏)らしい。
 
 後日、またしても柿が届く。
── 「母の法要、十二月十四日(土)十時からです。
 前回誤り(?)でした。」── 杉原 正 (Let'20021124)
 
 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺  正岡 子規 
 虚子よりも 子規の親しき 柿の秋 鷹羽 狩行
 
 以上のような“情報検索”から、ちょうど56年前を思いだした。
 余太郎の処女作《ぼくのいなか 1946 優良文集》は、小学校二年生の
夏休み、三重県でのできごとを書いて、知事賞(*)をもらっている。
 少年が、おばさんに「あの一ばん大きなのを取って下さい」と云った
とあるが、いま考えるに、夏休みに柿は実らない。
 この作文は(実は)、もともと父の代作(創作)であり、似たような
エピソードがあったにしても、よく思いだせないままである。
 真夏の木に成る果実は、何だったのか?
 
 これを読んだ大人も誰ひとり、この矛盾に気づかなかったらしい。
(父も母も、担任の先生も、審査員も編集者も、知事までも!)
(*)知事賞は市長賞が正しい。つぎの三人は、偶然にも同い年である。
 

 林  良材 開業医   1891‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /〜《還暦の町医 1952‥‥ 私家版》
 和辻 春樹 京都市長17 1891‥‥ 東京 19520824 60 /[19460313-19461127] 哲郎の従弟
 木村 惇  京都府知事 18911030 宮城 19690212 77 /府庁知事室秘書課・山本氏による。

 
 作文の受賞直後、昭和四十六年十一月十六日、小児結核を発病。

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11月10日(日)
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