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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 十月X日の春秋反歌
〜15850410G)は決断を迫られていた。英国教会の離反と宗教改革の波に
ドイツやスイスを奪われ、いまこそローマの威信を示す時だった。
 春分を「三月二十一日」に復帰するため登場した《グレゴリオ暦1582
1005J1015G》の置閏法[97L/400] も、結局は春分移動をとらえていない。
宗教改革の敵味方ともに「地動説」を認めていないのである。
 頼みの御用学者リリウス( L.Ghiraldi,?〜1576 )も急死し、クラヴィゥス
(1537〜16120206) の《改革ローマ暦の説明1603》公刊を待たず、いかに
も唐突な「Xデー」となった (布告15820224J0326G教書) 。六十八行詩
《太陽賛歌1225》で知られる聖フランチェスコ(1181/1182〜12261003J)の
聖日「十月四日」木曜の翌日を、一挙に新暦の「十月十五日」金曜日に接
続した。この失われた十日間に、第一級大祝日はないが、第二級大祝日が
三日消えている。
 いまわしい宗教改革記念日 (15171031J)こそ抹殺すべきところ、万聖節
(08351101J)前日のため免がれた(現在は第一日曜)。
 捕囚となる屈辱に憤死した第百七十四代教皇ボニファティウス (1235〜
13031011J)破門皇帝ルードウィヒ (1287〜13471011J)仇敵ツゥイングリ
(14840101〜15311011J)の命日も中断している。
 ポーランド出身の、第二百六十四代教皇ヨハネス・パウロU世(1920
0518 〜) は、同郷コペルニクスの「地動説」を立証したガリレイ(1564
0215J〜16420108G)の生地を訪問(19890923)、公式に名誉を回復した。
 この日の「歴史的秋分」につづいては、英国教会との和解(19891002)、
NASAの木星探査機「ガリレイ」発射(19891018)、ソビエト連邦最高会
議長ゴルバチョフ会談(19891201)では、初の共産圏「宗教法案」など、よ
うやく地球が動いた。                 (19920623)
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 シクトゥスW世=百八十三代?→212-213代←《ローマ教皇一覧》
 十月X日は、とくに日付を特定しないが、ここではロシア革命の旧暦。

10月25日(日)
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