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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 三月十五日の余波月
 実は占領下の《エジプト暦》に -250828G から四年ごとの「置閏令」
を命じて、十八年の実績をローマに適用したのである。
 まず、三年目ごとの「誤置閏」を、本来の四年ごとに戻すために、紀
元前六年から紀元後七年にかけて「省閏令」を敷いた。 この十二年間
を《ユリウス暦U》として、つづく《ユリウス暦V》では、二月をのぞ
く小の月はすべて三十日に、八月をAugustと改称して大の月に昇格させ
た。さらに、九月以降の奇数月を小の月にいれかえた。
 通説では、彼が「鳥占いの迷信家」であり「自分の誕生日を不吉だと
信じていたため」というが、当時の鳥占いや占星術は帝王学であって、
現代人の考える迷信にはあたらない。
 ローマ史上もっとも聡明なアウグストゥスが、明快なルールであった
「奇数月は大」や「カレンダエ」も「イードゥス」までも追放したのは
何故か。彼のほんとうのねらいは謎のままに継承され、日本人だけに通
じる語呂あわせ「二四六九士・小の月」も、この素朴な疑問を封じてし
まっている。
 《皇帝伝》(国原吉之助訳・岩波文庫)では『私の生れた九月よりも、
むしろ八月をとったのは、最初の執政官に就いたのがたまたまこの月で、
そして特別輝かしい勝利を収めたのもこの月であるから』と弁明する一
方で、「誕生日の星位を広く世間に告げ、生れたときの磨羯宮を刻印し
た銀貨を鋳造した」のも口実めいて疑わしい。
 磨羯宮 capricornus, は九月下旬の夕刻に南中する黄道第十宮の山羊
座である。ただし現代の占星術で「誕生日は九月二十三日」といえば
「乙女座」か「天秤座」となる。太陽暦では、秋分にあたる。
 紀元前六十三年の彼の誕生日、ローマ紀元6910923 については、カエ
サル 651/653 0712/0713 とともに、当時のローマ暦が復元不能のため
特定できない(曜日不詳)。おそらく《ユリウス暦》の日付で祝ってい
たらしい。
 その命日、140819J についてスエトニウスは「七十六才に三十五日不
足した」と指おり数えているが、この分ではその失われた著作《ローマ
暦法》にも正確な計算は期待できないようである。誕生当時のローマは
数ヶ月前の季節(ユリウス暦の六月か七月ごろ)と推定されるため、秋
分には当らない。
 ストロベルの説(佐藤研訳《聖書大事典》教文館)によれば、彼の誕
生日を新年とする《小アジア暦》では、-80924G (木曜日)を紀元元年
として、毎月二十三日が翌月一日の九日前に来るように計られたという。
 いわば「カレンダエ」の残影であるが、一八〇〇年のちに、秋分年初
の《フランス共和暦》として再登場するのである。(19911112)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920315 三月十五日の余波月
── 《歴史研究 19920301 新人物往来社》P64-66(2000 Web.)
 
…… ブルータス「もう一寝入りするがいい、まだ夜は明けぬ。明日は
たしか三月十五日だな?」
 ルーシアス「さあ、それは」
 ブルータス「暦を見てきてくれ」
 ルーシアス「畏りました」(入る 〜略〜 もどって来る)
 ルーシアス「はい、確かに三月はもう十五日になっております」
── シェイクスピア/福田 恆存・訳《ジュリアス・シーザー 19680325 新潮文庫》
 
 一六〇〇年に書かれた戯曲で、紀元前四十四年三月十四日(逆算によ
れば水曜日?)の状況が推定される。シーザーが改暦を断行した翌年、
暗殺前夜である。暗殺者の部下が見た暦は、現代のようなカレンダーで
なく、別室に畏って飾られていたらしい。それはまた暗殺すべき宿敵が
強い意志で改め、実施したものである。
 平年の日数が三百六十五日、閏年には二月を一日加える(厳密には二
十三日を二度くりかえす)ことなど、現行の暦と同じ構想がほとんど完
成していた。
 二月だけが二十九日で、他の月は三十日と三十一日が交互に連続して
「偶数月は小の月」であり、現行の「四六九・十一」より平易である。
 
 シェイクスピア学者夫妻
 

 大山 俊一 英文学 19171008 東京 19830910 65 /成城大学教授、成城短期大学学長

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03月15日(日)
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