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与太郎文庫
by 与太郎
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■ OMRON 〜 立石家の人々 〜
長友 英資 OMRON 19480707 ‥‥ /200806‥ 非常勤監査役/元東京証券顧問
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山田 義仁 OMRON 19611130 ‥‥ /201106‥ 代表取締役社長
森下 義信 OMRON 19490922 ‥‥ /201206‥ 代表取締役副社長
作宮 明夫 OMRON 19520910 ‥‥ /201106‥ 専務取締役
冨山 和彦 OMRON 19600415 ‥‥ /200706‥ 取締役(社外)
湯川 荘一 OMRON 19490420 ‥‥ /200906‥ 常勤監査役
川島 時夫 OMRON 19590122 ‥‥ /201106‥ 常勤監査役
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江藤 秀信 OMRON 太陽 1944‥‥ ‥‥ /200306‥“車椅子の社長”20080616退任
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清浦 奎吾 総理大臣23 18500327 熊本 19421105 92 /嘉永 3.0214/ [19240107-0611]
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19240107 鰻丼鰻香 〜 清浦家の人々 〜
清浦 圭明 奎吾の曾孫 1939‥‥ 京都 /横浜ゴム本社専務退任(奎明)
http://www.omron.co.jp/ir/keiei/tori_kan.html(廃)
オムロン取締役・監査役のプロフィール
http://www.omron.co.jp/ir/corporate/tori_kan.html
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還暦で再婚 〜 長女のしゅうとめと 〜 立石 一真
昭和二十五年、妻の元子を亡くして以後、私はばあやさん相手に男手
一つで六人兄弟を育てた。当初はカゼをひいたり、おなかをこわしたり
で、終始小さな子供にふり回されたので、これではかなわんと、そのこ
ろようやく身についた西式健康法を子供たちにも実行するよう命じた。
まず朝食抜きと温冷浴から始めさせ、ビタミンC補給のためにできるだ
け生野菜を豊富にしたり、柿の葉の茶を飲ませたりした。これですっか
り丈夫になった。健全な精神は健全な身体に宿るとはまことで、つべこ
べいわなくても適当に勉強し、長男は京大、二男、三男、二女は同志社、
四男は甲南、五男は慶応とそれぞれ好きな学校へ入り、次々に私の会社
を手伝ってくれている。(略)
長女啓子が嫁して十年目に私に再婚話が持ち上がった。妻を亡くした
ころ、再婚話がなかったわけではないが、寂しいながらもせっかくむつ
まじく暮らしている家庭に、まま母まま子の関係が生まれると、家の中
がうまく運ばなくなること必定とみて、私はずっとその話には耳を傾け
なかった。これは理屈ではなく、本能的なものであり、おまけに世間も
何かありそうな目を向けるからでもあった。
今度の相手はほかならぬ啓子のしゅうとめ信子。彼女は宝酒造の創立
者・四方卯三郎氏の長女で、養子に仲蔵氏を迎え、誠一君を頭に三男一
女の母であった。啓子の嫁入り直前に仲蔵氏が他界した後も、四方家の
政所的存在として重きをなしていた。何不自由ない生活なので、つい人
にたのまれては結婚話の取り持ちをすることが多かった。巷間高砂屋
の異名をちょうだいするほどだった。
実のところその高砂屋≠フ取り持ちで長男孝雄の結婚話がまとまっ
た。(略)見合い写真は近くの知り合いから別のルートで三度も届けら
れたので、よくよくの縁だと高砂屋≠フお出ましを願った。話は見合
いからトントン拍子に進み、一年近い婚約時代に入った。
そんな境界のせがれから見ると、愉快に飲んで夜遅く帰宅したときな
ど、ひとりぽつねんと新聞を読んでいる私の後ろ姿がいかにも寂しく見
えたらしい。そこで兄弟姉妹語らって父親にも格好のお相手をというこ
とになり、四方家の政所をスカウトすることになった。政所なら、今ま
で啓子を母代わりに慕ってしげしげと訪れていた子供たちの気持ちもわ
かっているし、子供たちも「おばちゃん、おばちゃん」となついている。
(略)そう決まれば、孝雄たちの結婚式の前に挙式して、両親そろって
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01月12日(土)
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