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与太郎文庫
by 与太郎
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■ BIRTH DAYS 366
 彼らは、友人・親戚におよぶたくさんの誕生日を列記した《バースデ
ィブック》を毎日のように活用しています。
 わが国では、満一歳の初誕生を祝う風習が古くから各地にみられます。
 さらに干支(えと)が一巡する満六十歳の誕生日を《還暦》と呼ぶの
は、6〜7世紀にかけて仏教とともに輸入された《中国暦》にもとずい
ています。
 仏事では、亡くなった人の命日を記録する《過去帳》を重んじて、点
鬼簿・鬼籍・鬼簿など、おおくの呼びかたがあります。その形式はきわ
めて簡潔ながら、俗名・法名・続柄・誕生日と出生地・死亡地を命日の
順に三十一ケ日に分類記入するもので、先祖代々伝えられ、原本は寺で
永世保存され、現在でも活用されています。
 キリシタン禁制から生れた《宗門改帳》や、身分階級を明らかにする
《人別帳》は明治になると《戸籍法》にとってかわられ、2年後に西暦
《グレゴリオ暦》が採用されるにおよんで、わが国の民俗風習は一挙に
欧米の影響を受けはじめます。
 毎年の誕生日の他に、結婚記念日なども、現行の《改正戸籍法》にお
ける新戸籍の誕生日と考えられ、クリスマスはじめ聖バレンタインデー
など、外国の記念日をどんどん取りいれるようになります。
 そして旧暦は廃止されたものの、同じ日付で西暦に転用された例(五
節句など)もあり、東京天文台編・伊勢神宮配布の《神宮暦》には旧暦
が活きています。
 時勢や暦法が変っても、記念すべき日は動かしがたいようです。
 私たちにも、それぞれ忘れることのできない個人的な記念日がありま
す。欧米の《バースディ・ブック》に、現代的な機能をあわせもつ、新
しい形態のメモリアル・ノートとして、世界の著名人・タレント13,000
人もの誕生日を網羅した《バースディ・カレンダー》はこれまでに例が
ありません。
 
 《人名辞典》のなかで、誕生日や命日を明記したものは意外に少ない
ようです。各国・各時代によって《暦法》が異なるために、おなじ月日
かならずしも同月同日を指すことにならず、実用的な換算法がないから
です。
 たとえば、昭和元年(1925) は、12月25日から31日までの一週間しか
ありません。クリスマス・イブに生れた人は、わずか1日ちがいでも、
大正うまれと呼ぶべきですが、こういう世代感は外国には通じません。
(イスラム暦では  0712にヘジラ紀元1345年の元旦を迎えているので、
季節感がまるでちがいます)。
 
 私たちが現在、新暦あるいは西暦と称している《グレゴリオ暦》は、
400年前にローマ教皇が制定したもので、日本では 110年の実績があり
ます。ところが日本よりも、はるかに西欧にちかいはずの帝政ロシアで
は、革命まで《ロシア暦》を用いていたために、60余年しかたっていま
せん。つまり、革命前に生れた人はロシア暦の誕生日を祝い、グレゴリ
オ暦の命日を迎えるわけですが、単純計算で12〜13日間も長く生きるこ
とになります。そこで、ソルジェニーツィンの処女作《イワン・デニー
ソヴィチの一日》では、「彼の刑期のはじめから終りまでに、こんな日
が三千五百六十二日あった。閏年のために、三日のおまけがついたのだ
……」と重々しく結ばれます。
 さらに、もう1日だけ長く生きる方法もあるのです。
 日付変更線を、西まわりで通過すれば、その瞬間に翌日となるからで
す(往復すれば差引おなじですが)。
 
 かつて、おおくのロシア人が、革命を逃れてアメリカに亡命・帰化し
ました。
 そのひとり、作曲家のプロコフィエフ(18910423ロシア暦0411〜1953
0304)は、シベリアから日本を経て日付変更線を逆に通過し、ニューヨ
ーク滞在ののち、パリに渡ってからも、ヨーロッパとアメリカを往復す
るほどの名声を得て、十年ぶりに故国ロシアに招かれます。やがて望郷
の念やみがたく、十五年の亡命生活にピリオドを打って帰国しました。
彼の生涯日数は、つごう一日だけ短縮されたことになります(逆に考え
れば、暦より一日長く生きた、ともいえるのです)。

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04月01日(火)
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