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与太郎文庫
by 与太郎
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■ あまちゅあ・かっぽれ
でつまずくと、困ったことになる」
「しかし」と、フルート吹きは、かねてよりの疑問を私にただした。
「この曲は、もともとフルート一本しか書かれていないんでしょう。す
ると第二フルートのぼくが吹いてるのは、何ですか」
「ハイドンの時代は人手不足だったんだ。遠慮せずに、しっかり吹いて
くれ」
さて、本番を迎えた。
オーボエの、例の個処になると、私は目をつむってしまった。なむさ
ん、オーボエはもとより、ヴァイオリンも第二フルートも、ついに鳴ら
なかった。しかるに意外なことは、私自身に起っていた。たちまちにし
て私の唇から、とにかくメロディが流れ出たのである。
演奏会のあと、みんなは狐につままれたような表情で話しあっていた。
「あそこで、たしか何か鳴っていたようだ。いったい誰がどうしたんだ
ろう」
まさかのハプニングで、あのとき誰も気づかなかったものとみえる。
みんな、よほど緊張していたらしい。そこへ、最前列で聴いていたとい
う人があらわれて、叫んだものだ。
「おどろいたなぁ、ハイドンの交響曲で、くちぶえが入るなんて」
「誰だ、くちぶえなんか吹いた奴は」といって私は、いそいで姿をくら
ませた。
私たちのオーケストラは、三年目の夏に、琵琶湖一周大演奏旅行をく
わだてた。みんな大胆になっていて、公民館とか、大工場の集会場で、
五回ほど演奏会を開くことになった。
すでに私は高校を卒業していたが、この機会に最後の指揮をすること
になっていた。例によって楽器の組みかえに苦労は絶えず、たとえば、
「アルルの女」とか、「エグモント序曲」など、原曲にはほど遠い奇妙
なサウンドになるのはやむを得なかった。
そのなかで、私が気に入っていたのは、なんとモーツァルトの「アレ
ルヤ」をクラリネットに吹かせる趣向のものである。当時のメンバーで
S君という随一の奏者を活躍させるために、私が探しあてたこの曲は、
ご存知ソプラノ独唱と管弦楽のためのモテットに他ならない。S君のた
めには、本来ならかの「協奏曲」を吹かせてやりたかったが、オーケス
トラにとって荷が重すぎた。そこで、なにしろトロンボーン、クラリネ
ット、フルートそれぞれ二本を無理に加えた大編成オーケストラをバッ
クに、ときどきとんでもないサウンドにおびえながら、浮かぬ顔のS君
が、これを独奏するわけである。主として、アンコールに用いて、私は
得意がっていた。
メンソレータムで知られる近江兄弟社の、教育会館が、最初の会場だ
った。昼間のリハーサルから宿泊にいたるまで、同社の社員とおぼしき
青年が、何かと世話してくださったそうである。私はすべてマネージャ
ーに任せて、いわばお山の大将だったので、あいさつはしたはずの、そ
れ以上に話した記憶はない。
本番が無事おわってから、くだんの青年はS君のクラリネットを賞し
て、いった。
「ウィーンのかおりがしました」
ウィーンであったか、ミラノであったか定かではない。
実はこのくだりは、十数年のち、ごく最近はじめて当時のメンバーの
ひとりから聞いたものである。
さらに、おどろいたことに誰あらん、その青年とは若き日の小林道夫
氏だったのである。知らなかったとはいえ、私はたいへんな人の前で、
でたらめな編曲と指揮を披露したわけで、いまさらに身のちぢむ思いが
する。
(前々号に寄せた、拙稿「いそがしい指」では、てっきり初対面のつも
りで、すまして話しかけているのが、われながらおかしい。おそらく、
十数年前の珍妙なオーケストラのことなど、氏の記憶にはないであろう
けれども)。
ちなみに、当時のメンバーは個々としてみれば、なかなか優秀で、S
君はじめ数人は大学の軽音楽部のスターとなり、弦楽器でも、のちに結
婚するまで京響の定期に参加していた女性ふたり、アマチュアの室内楽
を今日まで続けているグループなど、多士済々である。あのころ、第二
ヴァイオリンの末席で、ちっとも目だたなかったW君にいたっては、目
下さっそうとファゴットをたずさえてパリ音楽院に留学中だそうである。
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11月26日(金)
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