ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 弓弦十話 (その3)
のわりには、無理が多すぎる、ということがいえるだろう。
 この曲を、ヴァイオリン用に編曲した楽譜もあるが、どうせ1オクタ
ーブ上げるなら、ヴィオラの方が、はるかに妥当である。しかし、いず
れにせよ曲想にふさわしいかどうかが重要な問題となる。そして、曲想
の変化がどの範囲で、どの程度まで許されるか、という判断がむずかし
い。

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 譜例4 アルペッジョーネ & ギターの調弦         
 譜例5 シューベルト《アルペジオーネ・ソナタ》
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 5の譜例は、どちらを採ってもよい、という親切な指定であるが、こ
の種のルーズな処理は、いうまでもなく出版業者の通例なのであろう。
 同じシューベルトのものでも《アヴェ・マリア》のように、アンコー
ル・ピースとして自由な発想で編曲された小品もあるし、やはりウェル
ヘルミの編曲になるバッハの《G線上のアリア》などに至っては、曲想
の変化そのものに趣向をこらした例、というべきであろう。
 バッハ (1685〜1750) については、なぜこうも書くべきことが多いの
か。
 十年ほど前にきたアメリカ映画《真夏の夜のジャズ》で、バッハの
《無伴奏チェロ組曲第1番》が聴ける、とは誰が予想しただろう。この
予想外の演出をしたのは、プロデューサーであったか、当のチェリスト、
すなわちチコ・ハミルトン五重奏団のメンバーだったのか知るべくもな
い。
 すぐれた記録映画が成功する要因のひとつに、しゃれた横道とでもい
うか、一種の幕間部分で、はっとするようなシーンがかならずある。演
奏を終えたモダン・コンポのひとりジャズ史上にあらわれた最初のひと
りであろうチェリストが、楽屋でくわえたばこのまま、《無伴奏》を弾
きはじめる。
 無造作なアルペジオが、いかにも無造作にはじまり、やがて熱狂的な
リズムに発展していく過程は、焼け焦げるたばこと同様に、しかもいわ
ゆるクラシカルな演奏とはまったく異質の展開を遂げていく。
 《プレイ・バッハ》など、一連のジャズ・アレンジによるレコードは
いくつかあるが、どちらかといえば、実験的な動機が優先していて、こ
の場面のように、ジャズ奏者が正面きってバッハを弾く例は、まず珍ら
しい。
 トランペットのアル・ハートやベニー・グッドマンのように、ハイド
ンやモーツアルトの《協奏曲》をそれぞれ演じているが、この場合は多
分に商業的、あるいは試行錯誤からの脱出を目的としているようで、結
局はまゆつば的なのである。
 このチェリスト、名は何というのか調べるまでもないが、《組曲・動
物の謝肉祭》における無能なピアニストが、無味乾燥な《チェルニー》
をくりかえすのに比べて、チュリストはいかにも恵まれているようだ。
 バッハがチェロという楽器に、とくに肩入れをしたという根拠は、ど
こにもない。しかしチェリストにとって、バッハは入口であり究極であ
り、チェロにおけるすべての想像力の源を示した作曲家である。
 1717年、32才のバッハが書きはじめた《無伴奏》が、全曲を通じて演
奏されるようになったのは 180年ほどの空白ののち、であるらしい。つ
まり、1889年、13才のカザルスが、楽譜店の隅から見つけ出し、12年の
研鑚ののちようやく全曲を公開した、というわけである。カザルスの功

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07月01日(木)
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