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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 弓弦十話 (その1)
は、たとえば《プレイ・ボーイ》編集長、レノンとヨーコ、バートンと
テーラー、等々で、バイロンによれば、世にうんざりする種族と、させ
られる種族とがあるそうな。
それはともかく、バーンスティンは、この《白鳥》を、こともあろう
に、コントラバスで弾かせることを思いついた。
たぶん彼は、全14曲をことごとく戯画化し、その統一を図ろうとした
のであろう。その種のサーヴィス精神でもあるし、その意図は成功した
とみえて、レコードは売れているらしい。
だがサン=サーンスが聴いたら、何というだろうか。
ある作曲家が、ある楽器に関して、固有の反応あるいは指向性を脱す
ることができないと断定すれば、たとえば《チェロ協奏曲イ短調》《チ
ェロ奏鳴曲》、小品の《アレグロ・アパッショナータ》等を通じていえ
ることは、あくまで中音域を主とする、運弓の美しさ、耳ざわりのよさ、
旋律の明快さ、などにその特徴がある。いわゆる困難な部分は、見あた
らない。単に奏法上のランクからいえば初級どまりである。したがって
《白鳥》を3年間練習してみても、技術的には何の上達も得られない─
─再び、わたくしごとでいえば、だから私は、たった3年間で、チェロ
をあきらめてしまった。
その《白鳥》を、コントラバスで弾くとどうなるか。教科書風の解釈
でいうと、この曲の描かんとする情景は、浄々とした湖面にうかぶ白鳥
一羽、ふとみるうちに、たおやかに飛びたちゆく瞬時の絵姿であろう。
そもそもコントラバスの音色はくすんでいて、もし軽妙たらんとすれ
ば、おどけて聴えるし、イキがってみれば、ヤボに近づく。甘い旋律を
甘々しく奏でるには、どうにも不向きなのである。
これをバーンスティンは、逆手にとったのであろう。しかも、彼ほど
の知性派である。議論好き、といってもいいだろう。これほど人気の定
着している佳品を、あえて曲げたからには、それなりの、こみいった理
由があるやも知れぬ。かといって本人に確かめる手だてもなく、他愛も
ない推測にすぎないのだが、《白鳥》の前の、第12曲《化石》への仲間
入り、ではなかったか。
彼自身の語りによると“これはちょっと違うコントラバスです。歌う
コントラバスなんです。これはゲーリー・カー君の演奏です。カー君は、
20才にしてすでにこのめんどうな楽器の大家です”とことわっている。
■ 象 / カンガルー
……音の高さの差を音程といい、二つの音の振動数の比を表わす。振
動数の比が1のとき1度音程、2のときを8度音程またはオクターブと
いう。オクターブの音は基音と同じ感覚を与える。……某百科辞典から
同じ感覚とは、おそらく他に表現しようがないのであろう。まったく
同じではないし、同じような感覚でもないのである。電気的な純粋音と
か、ピアノのような減衰音の場合でも判別できるのだから、ヴィヴラー
トにつつまれた弦楽器では、さらに顕著である。
十数年も前の記憶であるが、ラジオの《こども音楽会》とかで、小学
の演奏による、《白鳥》を聴いたことがある。
それは、まさしくノン・ヴィヴラートで、しかも1オクターブ下げて
いた。たぶん4分の3か、4分の2の小型チェロで、演奏者は習いはじ
めて1年か2年の、豆チェリストと思われた。
この段階では、ファースト・ポジション、つまり左手の親指がいちば
ん低いところで、位置を変えることなく《白鳥》を弾こうとすれば、1
オクターブ下げるのは当然である。
たしかに当然なのだが、先にあげたコントラバスよりもさらに、鈍重
な響きになることも避けがたい。浄々たる湖面が、泥々たる泥沼になっ
てしまう。
かたいこと、をいえば、女声の低音域と、男声の高音域は、同じ音程
であっても、似て非なるはずである。そのあたりを巧みにごまかす面白
さが、物真似の淡谷のり子であったり、美空ひばりであったりする。余
談になるが、たとえばバーブ佐竹の唄う《女心の歌》とか、菅原洋一の
《知りたくないの》などの歌詞は、あきらかに女声語で書かれていて、
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04月01日(木)
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