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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 京都市交響楽団常任指揮者 渡辺暁雄氏に聴く
がもろに表面に出てしまうことです。お客様は何も楽員が真剣に音楽す
る姿を見にこられるのではないのですね。音楽の持っている美しさとか
楽しさといったものを、やはり求められると思うのです。その点まだ京
響の諸君は、ステージでその真剣さが表面化されてしまうのでしょうね。
良くいえぱスレてないということなのでしょうが、もっと自分の感情を
音楽に投げ込んで、いわゆるのった演奏をするようになればなお良いと
思うのです。
──ということは、プロとしての根性を持てということになりますか。
渡辺 そうですね、たとえていえば非常に優秀な学生さんのオーケスト
ラといった面がなきにしもあらずですね。勿論ただリラックスしろとい
うことではなく、音楽の持つ楽しさ美しさにのって演奏しても、そこに
自分を心の奥で監督するきびしさは必要ですが。でもそれを聴衆の皆さ
んに、じかに感じさせるのはのぞましいとは思いませんね。もう少し表
現の巾が出てくれば、よりいっそう良いオーケストラになると思います
ね。
 それと、これは楽員諸君にいうことではなく、京都市に注文したいの
ですが、これほどの立派な会場とオーケストラを持つにしては、編成が
少し小さすぎると思うのです。もっと弦をふやさなけれは少し大規模な
レパートリーては充分な効果を期待できないのが現状です。京響の弟分
にあたる東京都響にしても、もう86人と私どもを上まわっていますし、
釆年度は92人の四管フル編成に拡大されるということです。この点は、
もう少し皆さんの御理解をいただいて、定期演奏会にお手伝いの必要な
い人員だけは確保していただきたいとお願いする次第です。
 さきのチェリウス先生の話ではないですが、モーツァルトばかり演奏
したというのも、せんじつめればモーツァルトにもっとも適した編成で
あったということてはないてしょうか(笑)。
──これは日本の病弊ともいえるのでしょぅが、楽壇もジャーナリズム
もすべて東京中心主義なのですね。だか,地方で音楽活動がおこなわれ
ていても、それが全国的に知られていないのです。だから地方の楽壇人
自身が、実体をよくわきまえもしないで、東京に比べて関西は劣ってい
るのだろうと勝手に決め込んている傾向はありますね。それには中央が
余りに華やかで、地方の状態が全然報道されないという現状のウラがえ
しともいえないこともないと思いますが。
渡辺 でも京都の人がそれではおかしいと思うのですよ。学問の分野て
も京都学派というのは大変なものでしょう。美術の方面てもまたしかり
ですね。そうした観点に立てば音楽の方でも、市民のみなさんにもっと
京響にほこりを持っていただきたいですね。
──ところで渡辺さんの場合は、ながく東京で御活躍なさってきて、は
じめて関西の楽壇とも直接、接触されているわけですが、東京と関西と
の雰囲気的なちがいもずい分あるだろうと思うのです。今の、御気持ち
の新鮮なうちに、そうした気風のちがいといったものを率直におうかが
いしたいのですが。
渡辺 一般の聴衆にかぎっては、そう大したちがいはないように思いま
すね。ただもっと音楽会が多くあるといいですが。東京ではいつも一日
に二、三は最低ひらかれているのですが、その点こちらは大分少いよう
に思います。それとまあ、これは一般的なことでなしに、音楽の専門家
の方たちについてなのですが、何となくまとまりがないように感じまし
たね。東京なんかですと、たとえばオーケストラの定期公演など、いろ
んな人たちが聴きにきているわけですよ。休憩時間のロビーなど大変な
にぎわいで、私なども出ていきますといろんな人たちとお話ができて、
ピアニストの人たち、ウァイオリニストの人たち、声楽家と、大変ヴァ
ラエティにとんだ顔ぶれなのですが、こちらはそういうこともなさそう
なのは、ちょっと意外てした。
──それは、地元にいる我々にも痛切に感じられてきたことなのです。
例えばピアノのリサイタルには、ヴァイオリニストはこないし、オーケ
ストラのコンサートには、ヴァイオリニストはほとんどききにこないで

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10月23日(金)
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