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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 一聴一席@市長2年尺八45年       富井 清 京都市長をたずねて
市長 終戦後 私は直接 家元に教えていただくようになり先生は枚方
のお宅から 京阪で京都まで出張していただいたのです 戦争で 都山
流の名簿も散逸して 誰彼の居所も判らない状態だったので これでは
いけないということになり ひとつ全国各地に《尺八懇談会》を開催し
て かつての流人を集めて歩こうという計画になり 家元のお供をして
昭和21年から24年にかけて全国をくまなく巡ったのです それが都山流
を現在の状態に復興した原動力です
── かつて家元は 19才の時に虚無僧の修業行脚をされたそうですが
期せずして市長もその道を往かれたわけですね
市長 なかなかの武者修業でして 貨物列車のデッキに新聞紙を敷いた
満員の闇屋に囲まれて 身動きもならず 汗をぬぐうにも手が自由にな
らない そのままトンネルに入って煙にまかれる といった具合でした
── 組織の再編成も無事成功して次に《都山流尺八楽理の手引》を市
長の手で出版されたのは
市長 昭和26年でした 都山流の教科書としては前に藤井先生のものが
あったのですが 先生も亡くなられており 新しい内容を盛り込む時期
でもあったので 家元から すすめられるまま私が改訂版を出しました
その印税を 金沢にある先生のお墓にお供えしたことでした そして
去年6月 こんどは倅が さらに総合的に尺八と洋楽や琴との関連を
判りやすく大幅に改編したものを出しました 尺八は“喜怒哀楽 森羅
万象を一管の中に蔵す”といわれるが 原始的な楽器であるだけに そ
の探究に尽きるところがありませんね   ( 44・3・13・富井邸にて)
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 市長の子息および田中 昌雄社長、同席。
 ながく父の主治医であった竹上医師に、与太郎の結婚媒酌を依頼して
いたところ、直前になって富井市長が日赤病院に入院する事態となって、
竹上内科部長が主治医をつとめる。市長と父は、四歳ちがいの三月二十
八日ともに三重県に生れ。七年のち父の死から六十九日、元市長も逝去。
 京都府医師会・事務局によれば、在籍会員の生没年月日を調べること
は容易でない。どの地域に所属していたかも、検索方法がないらしい。

03月13日(木)
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