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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 音楽のよろこび 〜 バーンスタインの三段論法 〜
不可思議を,たんなる散文で説明できるものだろうか? もちろん,誰
にもできはしない.ぼくたちが,合理主義者だといかに公言したって,
この神秘的な領域との境界で立ち止まらざるを得ない.いや,神秘的と
いうよりこれは魔術的といってもいいくらいなのだ.どんな芸術愛好者
だって,切り札がさらされているのに,不可知論者をきめこむわけには
ゆくまい.音楽を愛するということは,信じることなのだ.どんな弁証
法をつかっても,このことを認めざるを得ないだろう.
歴史上,もっとも理性的な精神の持ち主といわれた人々でさえ,音楽
について語るときには,つねに若干の神秘的な曖昧さを許容して,音楽
が数学と魔術の,美的で完璧な結合であることを認めたものだ.プラト
ンやソクラテスは音楽の習得が青年の精神にとって最上の訓育のひとつ
であると考え.教育上の必須条件であると主弓した.これは音楽が科学
的であると同時に<精神的>であるという理由に基づく.ところが,音
楽以外のすべてに関しては科学的であった,プラトンさえも,音楽につ
いて語るときには.ハーモニー,愛,リズム,それから,たぷん美しい
調べを奏でることができたにちがいない神々のことになると,曖昧な概
括しかできない.しかし彼は,兵士を鼓舞して戦場へ赴かせるには,笛
の音にまさるものはないことを知っていた──今日ではこれを知らない
者はいないけれど.またある種のギリシア旋法は,恋愛や戦争,あるい
は葡萄酒祭り.競技者に栄冠を授けるのに最適だった.それはちょうど,
数学的にもっとも複椎な音階やリズムやラーガの持主であるインド人が,
ある旋法(モード)が,朝の時間,あるいは日没,シバ神の祭礼,行進,
あるいは風の強い日にふさわしいと知っていたのと同じだ.しかし,こ
の事実を説明することはどんな数学にもできなかったし.今でも依然と
してできない.
ぼくたちも,現在,いぜんとしてこの魔法の壁にぶつかっている.物
理学,音響学,数学,形式論理学の法則を使い,あるいは,経験論のよ
うな哲学的な方法や,目的論的方法をもちいて科学的に解明しようと努
力はしているけれども,一体,それが何の役に立つだろうか? <魔法>
についての疑問はやはり未解決のままだ.たとえば,ベートーヴェンの
あるカルテットに出てくる主題の<形>を,正反合の形式的原理に従っ
ているというふうに説明することができる.つまり,はじめに短い<正>
があり,つぎに質問という形の苦<反>がつづき,最後に<正>と<反>
の矛盾から生まれるひとつの発展<合>がみられるというわけである.
ドイツ人はこの形式を〈stollen〉といい,他の国では<三段論法>と
呼んでいる.言葉,言葉,言葉.なぜ,この主題が美しいのか? これ
は難問だ.同じような形の主題を百,発見することもできるだろう.あ
るいは,同じ原理の変様に基づいた主題だって.しかし美しい主題は,
その中でひとつかふたつしかないのだ.
ぼくがハーヴァード大学にいた頃,バーコフ(Birkhoff)教授が,美
学的測量法という本を出版した,実際に数学的な方法を展開したもので,
それによりていかなる芸術の対象も一定の美学的価値の連続体にもとづ
いて,その美的評価を行ない得るはずであった.これは尊い努力であっ
た.しかし,何も彼もがいいつくされ実践されたけれども,結局は袋小
路にぶつかっただけだった.人間の五感はある限度までなら対象を測定
できる(目は]がYの2倍の長さだということを決定できるし,耳は,
あるトロンボーンがもう一方より2倍の音量を出していることを推定で
きる).だが,それらの感覚自体の美学的反応を測量することができる
ものだろうか? 豚肉の匂いと豆の匂いはどのくらい違うか? どうい
う種類の豆か? どんなふうに料理されているか? 生のままか? 煮
たとしたら,どの位の温度で? もし《エロイカ》が3.2点を得られ
るとしたら《トリスタン》なら何点になるか? あるいはたった1頁し
かないバッハの《プレリュード》だったら?
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02月28日(金)
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