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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 《点展・第一号》
と指を鳴らして、時々サーッと両手を拡げたりしながら、家まで歩いて
帰る男や、ジャン・ポール・ベルモンドを観ると早速彼のマネをして、
今喫ってる煙草でもう一本新しいのに火を着ける、てなキザッポイ事を
臆面もなくやってのける男を想像したまえ。彼らの、まさに超人的とも
いえるスナオさには思わず拍手したくなるではないか。あるいは冗談で
も賭けをして、百貨店のエスカレーターの女の子に「あのォ、これは片
道おいくらでしょうか」などと、まじめくさって尋ねることのできる男、
彼になら、借用証書なしで現金の五千円も貸そうという気持になるでは
ないか。女性というものは、キスしている時には必らず眼を閉じている、
と聞けば早速熱烈にオコナッテいる最中、わざわざ確かめたがる奴。そ
の彼女から「私いつも教育テレビの《動物の生態》って番組観てるわ」
といわれれば、例の《アンタッチャブル》を犠牲にしてまで教育テレビ
にチャンネルを変えてみる吾人、彼となら一晩中飲み歩いてもいい。
まだある、トイレで偶然上司と同席(?)するはめになって、ヘラヘ
ラ笑ったあとで、突然「あれっ、○長はギッチョですねっ」なんどと驚
くヤカラ。
ところで現代とは、なんとこれら<愛すべき人間>の払底している時
代であろうか。
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私のための抜き書き 内藤 敏男 *
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女体の美しさはどこにあるのか 会田 雄次
よく「本能的」にという言葉が使われるが、人間の本能は、その本質
はともかく、発現の仕方は大変微妙なものだ。私たちが、全く自然的な
欲望と考えているものでも、実は歴史的な所産でないかと考えられる種
類のものがすくなくない。
性に関する本能でも、一番始源的なようで決してそうでない。現在の
男性は豊かな、そして恰好のよい乳房というものに無条件に魅せられる、
ということになっている。女性美の最高のものは乳房で、それを見せつ
けられると男性は一辺に昂奮するというのだ。それは否定しないけれど、
しかし現在のように、それと対になって、胴は細く、腰廻りは雄大で、
しかもお腹が出ていないのが一番だということになると頚をかしげざる
を得ない。ミロのヴィーナスは女性美の典型だというが、この規準から
見る限り、あれでは乳房が小さすぎ、胴がふとすぎ、何とも工合が悪い
はずである。
ルネサンス時代の絵画を見た人から、ルネサンス人は、ヴィーナスを
処女と思わぬのかと質問を受けた。ヴィーナスは愛の神だから処女であ
ってはかえって困るのだが、問題はもうすこし別なところにある。ボッ
ティチェリのヴィーナスや春の女神、美のニンフなどの姿を見た人はみ
な、そのお腹がすこしふくれすぎているのを気にした。なるほどタイト
スカートをはいたらちょっと工合が悪いぐらいの出っぱりようである。
いや、あのころの女性はみな腹が出ていたのだとか、とくに目立つ「春
の女神」などは、わざと妊娠しているところをかいたのだとかいうのが
あちらの学界での議論の一つである。
だが大切なことは、その当時は、妊娠三ヵ月ぐらいが一番美しい肉体
だという考え方があったことだ。フランス革命のころまで、そんな考え
方は一部にだが残っていた。その程度にふくらんだお腹を見ると男性が
昂奮したという。乳房の豊かなのはむしろ好まれなかったのである。
ギリシア彫刻でも乳房に重点は置かない。腹部である。ついではお尻
である。ナポリ美術館には有名な「お尻の美しいヴィーナス」がある。
ルーヴルの「うずくまるヴィーナス」で作者が精魂をこめているのは、
うずくまったためできた腹部の二すじの溝であり、背中からお尻へかけ
ての曲線である。その足にするどいひっかききずが多く残されているの
は鑑賞した男どもが激情にかられてひっかいたあとだといわれる。
清代の中国では、纏足したため女性のくつは小さかった。現在の私た
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12月10日(木)
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