ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ グリル・キタの客
 しかるに総理の孫は、まったく記憶がないという。するとあのときも、
そしらぬ表情だったのは、まるで他のことを考えていたのだろうか。
 清浦は、いろあさぐろく長顔で、みるからに貴族づらである。
 
 与太郎も、中学三年生の前後に(学級はちがったが)選挙管理委員長
として一度ならず声をかけたことがある。彼は生徒会長候補だったが、
評議員会議長に就任し、与太郎は新聞部長となって、野に下った。
 
 なにかの問題で、ぶらさがり取材すると、彼は悠揚迫らず答えた。
「ところで、きみは、どの部分について不信任だと云うのか」
 この、しかめっつらしい反論に、さしもの与太郎も口をつぐんだ。
 

 清浦 圭吾 総理大臣23  18500327 熊本 19421105 92 /[19240107/19250611]
/奎明の祖父/子爵   嘉永3.0214 93 /
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 門脇 禎二 日本古代史  19250928 高知 京都  /京都府立大学長
 清浦 奎明 横浜ゴム専務 1939‥‥ 京都 神奈川 /奎吾の孫/清浦もリ・タイア
 中澤 隆司 KBS京都社長19390425 京都    /200509‥就任“パッチン”
 岩倉 明  具視の曾孫  1937‥‥ 京都 /具実の子/大前いく子の元夫
/写真・紀行文・翻訳

 
Let'20051019-1020 from Mr. Yoshida, Hajime
 
(20061214)
 
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 ヴァザルリの先駆?
http://art-random.main.jp/samescale/073-2.html
 エッシャー M.C. Esche【視覚の魔術師】(18980617〜19720327)
 
 画家の戦死
 
 久保 克彦 画家/図案 1918‥‥ 山口 湖北省 194407‥ 25 /戦死。
/1938東京美術学校工芸科図案部に入学、首席で繰上卒業
 
>>
 
 東京美術学校(現東京芸術大)を首席で卒業しながら、太平洋戦争の
ため二十五歳で戦死した山口県平生町出身の画家。
 
 1918年、佐賀村佐合島(現平生町佐合島)で生まれた。間もなく徳山
市へ移り、旧制徳山中を卒業。1938年、東京美術学校工芸科図案部に入
学。
 
 成績優秀で主席だった。戦争の激化で1942年9月に繰り上げ卒業。10
月、陸軍へ入隊した。1844年4月に中国へ送られ、7月、湖北省で狙撃さ
れて戦死。
 
 久保の代表作は、卒業作品で、東京芸大が買い上げた五枚組みの「図
案対象」(縦一・五メートル、横七・〇メートル)。
 
 大半が「画家でなく学生の作品」と映る彼の作品の中で、「図案対象」
だけは違う。海に墜落するような戦闘機を、中央に配した。「帰れない
覚悟が伝わってくる。自分すべてを注ぎ込み、ものすごい集中力で仕上
げてある」。生きていれば、大きな可能性を発揮したと思う。
 
 「図案対象」は、グラフィックデザインの先駆的作品として高く評価
されている。芸術への志を絶たれて戦死した若者の葛藤と懊悩は、戦時
中の社会と歴史の一断面を語っている。
 
 久保は、戦争反対を声高にいう同級生に、「やめろ」といった。どう
反対してみても、今の体制下ではどうにもならないということを知って
いるかのような口ぶりだった。だから、久保が卒業制作にのこした”戦
争画”は、日本国民の士気を鼓舞するものでも、皇軍大和の必勝を期待
するものでもなかった。
 傷ついた蝶のように落下する飛行機、傾く戦艦、その向こうに広がる
ピンク色の空と蒼い海。それは、人間の営みの愚かしさと虚しさだけが
ただようやるせない、”反戦争画”だった。
(1)
 
 志半ばで戦場に散った無念さ、心の叫び。
 
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
(1)戦没画学生慰霊美術館 「無言館」HPより抜粋。(20030805)
http://art-random.main.jp/samescale/025.html#k-katsuhiko
 

03月18日(金)
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