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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 山脈・第十五号
必要です。物があってこそ始めて情があり得るのです。情そのものだけ
では存在し得ないものなのです。言いかえれば、情は何かある物に向け
られ、それに依存しようとするものなのです。しかしながら、その物た
るものは無情なものなのです。我々の差し出す情を受け入れようとはせ
ず、それには何も応えてくれないのです。その物は我々の情を必要とし
ないのです。だから我々の情は中途半端な余計な存在とならねばならな
いのです。情の対象となる物が、総て無情だとは限らないと考えられる
かもしれません。しかしながら、そういう風に情を求めるのが、もう既
に情なのです。情に囚われていて無情をはっきりと見る事が出来ないの
です。我々自身及び我々を取り囲む自然は、情によって動かされるもの
ではありません。もっと大きな強い力に依るのです。情というものは、
偶々人間が持つだけのものなのです。何も宇宙は人間の為に存在してい
るのでは決してありません。だから宇宙は無情なのです。
 有情だと考えるのは宇宙が人間の為に存在すると考える為です。そう
いう人々は自然の無情をも何ものかの情であると考えるのです。そこで
超人間としての神を創らなければならないのです。自然の無情を神の情
と考えるのです。しかし、無情な物はあくまでも無情です。思い代えや
誤魔化しは利かないのです。決して人間が住む為に地球が作られた訳で
はないのです。唯地球があり、偶々それが人間を生んだだけなのです。
例えばあの母なる海も、もう今では我々をその懐には入れてくれないで
はありませんか。それ自身で充実した存在を持っていて、我々の入り込
むような隙間はないのです。それに一度天空を仰げばあのパスカルを戦
慄させた我々には、感知する事のできない無限の空間の沈黙があるでは
ありませんか。真に我々の情は、単なる余計な存在か、あるいは自然の
ほんの一微物に過ぎないものであり、それを以つて物を動かしたり支配
しようというような事は全く出来ない事なのです。情には頼れないので
す。我々の頼りとは成り得ないのです。いや、むしろそうだから、我々
は何事にも頼り得ないのです。何故ならば、頼ろうとする気持は既に情
であるからです。こういう頼りにならない情に頼ろうとする所に、情を
過大に評価する所に、我々が愛や憎しみや喜怒哀楽に苦しまなければな
らない所以があるのです。我々が同情を求めるから自然の無情に耐えら
れないのです。我々を取り囲むもの総てが無情だという事を悟らなけれ
ばなりません。情に囚われ、情に押し流されたのでは、苦悩の輪廻から
は到底抜け出せないのです。
      ×   ×   ×
 「諸行無常」という事がよく言われます。我々はこの言葉をこの世の
はかなさ、むなしさを嘆いたものだと考えがちです。又実際この言葉を
聞くとそういう趣を感じるものです。しかし、諸行無常という言葉は、
唯諸々の物が移り、変ってしばしも常住しないという事実そのものを言
っただけのものなのです。そこには何ら嘆きの感情は含まれていないの
です。しかしながら、我々が諸行無常をそういった嘆きとして受け取ら
ねばならないのは、我々が有情だからです。情を持つために、無常とい
う事実を率直に受け入れられないのです。諸行無常とは、我々有情な者
にとっては、謂わば諸行無情と同じ事なのです。自然の無情を知るとい
うのは、諸行無常を知る事なのです。諸行無常を本当に知る為には、我
々の情が諸行の一つだという事をはっきり認識する事が必要なのです。
又逆に我々の情が諸行の中の一つだという事を悟ったならば、諸行無常
という事実をはっきりと認識する事が出来るのです。ところで話は変り
ますが、認識ということは単に頭で知るという事だけではありません。
そういう消極的なものではなく、もっと積極的なものなのです。我々は
認識する事によって、その物に対する態度を決定させられるのです。積
極的に働きかける態度が生じてくるのです。またそうであってこそ本当
に生きた認識なのです。

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06月25日(水)
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